「おお、思わず居眠っていたらしいな。にわかに、肌寒う覚える」 能登守教経は、船尾の井楼
(やぐら) の上で、ふとつぶやいた。 昼夜、そこに床几しょうぎ
を置いている教経だった。で、疲れもしよう。今も床几のまま、井楼せいろう
の横木に肱をかけたまま、つい居眠っていたのである。 井楼せいろう
の上は三坪みつぼ ほどで、四面は楯で囲ってある。戦闘のさいは司令塔になり、また、武者が弓弦ゆづる
をならべて、のぞき下ろしに、敵舟を駆逐してまわる場合も多い。 楯の片隅にいた郎党たちも、じつは今、教経の嚔くさめ
に、眼をぬぐわれたものらしく、はっと顔を上げて、 「夜明け前の海の一ときは、急に寒さを覚えまする。お嚔くさめ
をなされた御様子、鎧下着よろいしたぎ
でも、お着代えなされましては」 と、すすめた。 「なんの・・・・」 と、教経は笑って、 「風邪などひいてはいられぬものか」 と、聞き流した。そして、井楼の横木から、空や海づらをながめて、 「そろそろ、朝だな。右手に見え出して来た島々は、備後びんご
か安芸国あきのくに か」 「この辺、島ばかり無数に見えまするが、さあ何島でございましょうか」 「真鍋まなべ
はおらぬか」 「ここにはおりませぬが」 「船底で眠っているのだろう。真鍋五郎助光、塩飽しおあくたの
太郎たろう の二人を、呼び起こして参れ。──
この辺の水先案内みずさき なら、彼らに及ぶ者はあるまい」 まもなく、その二人が呼ばれて来た。 彼らは、塩飽しあく
諸島の島主しまぬし であり、助光の兄、真鍋助久は、平家に加わって、一ノ谷で戦死していた。 その後も、異心のない者どもと見、平家は、志度を出た後、ひとまず、塩飽しあく
の佐柳島さやなぎしま や真鍋島まなべしま
などで、水、燃料、食糧などを調達し、また敵方の情勢もうかがっていたのであった。 さもなくば、どこかで、河野勢の伊予水軍とぶつかるか、源氏の鵜殿党に追いかけられていたかも知れない。ここまで無事だったのは、ひとえに塩飽しあく
諸島の島人れの好意であった。世は末なりとはいえ、平家と西国地方との由縁ゆかり
や主従関係は、まだどこかに生きている。耐えてはいない ── と、落魄らくはく
の人びとの意を強うさせたことであった。 |