〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/07 (月) うき の 一 もん (一)

── その後、八島を捨てた平家の水軍は、波の上に明け、波の上に暮れ、そして今夜も、伊予いよ 沖はるかなひうちなだ の星の下に、その軍影をおぼろ に見せ、たどたどしい船脚を、西へ西へ、向けていた。
船の型も能力も一様ではない。落伍らくご を出さないためには、お互いにたす け扶けして連れ落ちなければならなかった。自然、全体の速度はぐんと、低くなる。
それは、漂う水鳥の大種族が、あすの棲息せいそく の岸を、他へ求めて行く様にも似ていた。しかし水鳥にはある明日の安住の地も、平家の人びとの行く手にはあるかないか。
ただ、頼みといえば、。総領の宗盛とか、教経のりつね とか、また一連の侍大将らが、依然として吐いている強気な言葉だけであった。
その言う所に従えば。
長門ながと彦島ひこしま へ行きさえすれば、お味方の権中納言ごんちゅうなごん 知盛とももり がいる。九州平家の松浦党、山賀党、原田党、菊池党などの精兵もひかえている。
かつ、彦島の根拠地ねじろ は、九州中国の要衝たる関門海峡をやく しているので、守るによく攻めるに難い。
そこへ、われらががつ しれば、船数も千艘近くにのぼり、総兵力も優に七、八千の大軍になろう。
そうなれば、不壊ふえ の軍だ。金輪際こんりんざい 、もう負けないと言うのである。
「── 彦島までに候うぞ。彦島までのおこら えぞ」
おりおり、用水や米塩の補給のため、名知らぬ島へ寄っている間も、教経だけは、お座船や女房船を見まわって、
「かならず、お心細く思し召すな。この能登守は、べつのい艘におりますが、真夜半まよなか潮路うしおじ にも、わが眼は、すべての船影を、不断にお見守り申しておる。一艘といえ、はぐ らせはせぬ。生きるも死ぬも諸共もろとも一蓮托生いちれんたくしょう です」
海上では、彼はつとめて、 “死” を口にしないように気をつけていたが、ついそれがほとばし って出ると、あわててまた、言い足した。
「伊予沖だに越せば、途中、源氏の襲う心配も、もはやあるまい。彦島もやがて間近。戦は、われらの手でしましょう。女院や女房方は、くが にあってお安らぎあるがよい
・・・・かつまた、権中納言どの (知盛) は、一門第一の名将。なんぼうにも、お心づよく思し召されよ」
こうして、流離りゅうり の一大家族は、まだ幾夜の漂泊ひょうはく を重ねたほどでもなかったが、内ではお互いを励ましあったり、外には、瀬戸内せとうち の海賊や源氏の襲撃を警戒しながら、ようやく、ひうちなだ も過ぎて、安芸あき の海へはいりかけていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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