〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/04/07 (月) よ し や 君 (二)

石は、青白かった。
生ける日の新院 ── 崇徳のお顔のように青白く見える。
細い夕月が、峰の にあったのだ。
「・・・・が、そのように、 まれながら定められた義経の生い立ちなどとはこと なり、君は、皇子として れさせ給い、天子の御位をも継ぎ遊ばし、まもなく、いとお若うして、御退位在らせられしものの、なお、柳ノ水御所に、世の飢えをお知り遊ばさず、眼に辻の餓鬼も見給わず、静かに、お過ごしありしものを、そも何の御不足あって、謀臣どもにじょう ぜられ、尊きおん身をもって、武者どもの乱に 加担かたん あらせられしぞ。── まことに、千載せんざい恨事こんじ でした。ただ君の御一生のみではありません。わがちょう としても未曾有みぞう の地獄を見たではございませぬか。いやいや、そればかりかは。・・・・幾多の悪因悪果は、それからです。義経のごときも、その悪因の子の一人です。天下、名もなき悪因の子、路頭に飢え迷うた子は、数も知れませぬ。・・・・その億衆の以後の苦しみを思わせ給わば、なんで、君が世を逆しまにお恨み遊ばす筋合いがありましょうか。
── おそらく、世上紛々の流説るせつ は、自分の悪業にみずからとがめられてならない人びとの臆測おくそく にすぎますまい。── 義経はそう信じまする。そして義経もまた、このたびの平家追討をさいごの御奉公として、正しき破邪はじゃゆみ 以外は、誓ってこの手に持ちますまい。ただ和楽を願う民の防人さきもり となって生を終わる所存です。・・・・さもあらば、この白峰へも、春は花を、秋は紅葉をも尋ねて、 う人びとも多くなりましょう。魔の山ならぬ、菩提ぼだい の峰となりましょう。・・・・たとえ身は白骨と しての後も、行く末、永く遠く、人の世の平和を見たいものと、武者義経も、今日ここに、きっと思いを固め申したことでおざる。── あわれ、君にも仏果をえさせ給え、まことの成仏のあらせられ給え。この白峰の御相みすがたうるわ しく、人の世をも護らせ給え」

*

月は、宵の間だけでしかなかった。
白峰から屋島まで、帰りの道は、如法闇夜にょほうあんや の中だった。
真夜半まよなか すぎ、六万寺につき、義経はふたたび陣中の人となって眠った。楯に囲まれ、太刀を抱いての、仮寝を結んだ。
── 志度。屋島の総軍が、潮に白旗をなびかせ、大小の軸艫じくろ をそろえて、およそ四百余艘、平家のあとを追跡して、ここ讃岐の海を出て行ったのは、それから数日の後であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next