「ほ。・・・・そうか。では、昔は木ノ丸御所の木戸守をお勤め申し上げた者か」 麻鳥は、奇縁に驚いて、 「じつは、そのころ、わしもただ一度、御配所に近づき参らせたことのある者。──
月のよい晩、池の汀 にすわって、笛を吹いて去った遍路へんろ
の男を、おぬしは覚えていないか」 と、言った。 老爺ろうや
は、忘れていなかった。 「さては、そのおりのお人か」 と、なつかしみ、さらにまた、この白峰の御墓には、上皇がおかくれになってから数年の後、西行と名乗る旅の歌法師が詣もう
で、峰の上に、一夜を通夜つや
して去ったということなども語り出し、 「その西行さまが詠よ
まれたお歌とやら、幼いこの娘に、書いてくだされた懐紙かいし
が、今も、わしの家にあるが」 と、老爺は、いい足した。 おそらく、旅の西行は、一夜の宿を、ふもとの農家に借り、そこの可愛い小娘に、歌の反古ほご
でも与えて去ったものだろう。その西行が、一体どんな歌を白峰へ捧ささ
げたのか、麻鳥は知りたい気がした。── が、もとより文盲な老爺が、歌など、そらんじているはずもない。 だが、まだ幼い時に、西行にそれを貰ったという彼の娘は、たれかに読んで貰ったことでもあるのか、その歌を覚えていた。──
と言っても、いたずらに、羞恥はじら
うのみで、なかなか答えもしなかったが、やっと口籠くちごも
りながら、麻鳥へ、こう伝えた。 |