無数の松の肌に、夕陽
が赤い。 麻鳥の影と石の影と、それはもう、人と石ではなく、人と人とのようであった。 「・・・・が、何事もちまたの取沙汰。世間はなんと申そうと、わたくしの胸には、あのおやさしい君のお姿しかありませんでした、けれど、どうしたものでしょう。あれ以後の、世のありさまは。・・・・たしかに、人の上に、天魔鬼神が住んでいて、人をして限りなく外道げどう
の業わざ を躍らせているかのようです。戦火が地上を焼けただらし、民が、苦患くげん
の底に泣くとき、魔界の空で、百鬼の笑う声がします。・・・・そんな様相そのままな都が、あれ以来 ── 君が讃岐の配所にみまからせ給うてからというもの ── いくたび繰り返されたかわかりません。・・・・それゆえ、ますます、人はいい顫おのの
きました。こは是こ れ、みな崇徳院のおんたたりぞと」 「・・・・・・」 「院におかれても、大いに恐れ給うてか、治承の年の始めにいたり、にわかに、御諡おんいみな
を君に贈り、都の一所に、崇徳院の御霊鎮みたましず
めなどもなされましたが、それからも年々の飢饉ききん
、年々の悪疫あくえき 、また木曾殿の合戦やらで、いつか、それも忘れ果てられ、ただ世の末を嘆きあうばかりで、近ごろ、鎌倉どのの新しき御出現は見ても、武人ならぬ者は、まだ少しも心を安んじてはおりませぬ。・・・・いや、その武人とて、これまでの例を見れば、今日の人の非命が、いつわが身の上でないと思えましょう。心から生を愉たの
しむひまもございますまい」 「・・・・・・」 「なんとも、酸鼻さんび
な世ではございませぬか。── むかし、君を墜おと
しまいらせ、君を遠流おんる に処すなど、さまざま、君を苦しめ奉りしそのころの人びとも、今は昔、白骨と化け
し去って、現世の人ではありません。君にも、今の世に、なんのお怨うら
みのありましょうや。── どうか、柳ノ水の御所におわせしころの優しい君の本性にお還かえ
りあって、この白峰の上より、衆生の平和をお護り給わりませ。麻鳥もその願いに、小さい生涯を捧げてはおりますが、とてもわたくしなどは大海の中の粟あわ
一つぶにも足りません。あわれ、麻鳥の非力に、お力をおかし給わりませ。・・・・」 麻鳥は、そう言って、石を仰ぎ、また身を伏せては、慟哭どうこく
していた。 鴉からす であろうか。 茜色あかねいろ
のすき間をもった木々の間から、黒い粉がぱっと、空へ散らかった。 すると、横の小暗い細道から、牛のように柴しば
を背負った農夫の父娘おやこ が、のっそりと歩いて来て、ふと、足を竦すく
ませたが、やがて、素朴な郷言葉さとことば
で、麻鳥へ何か言いかけてきた。
農夫の国訛くになま
りは、ひどく分かりにくかったが、いろいろ問い返したり、打ち解けてくるうちに、麻鳥には、これも偶然でない気がした。崇徳の君の、お引き合わせか ── と思われた。 農夫は、白峰のふもとの者だが、むかしは、ここの国司こくし
の雑仕ぞうし として仕え、崇徳上皇がこの地の配所におられた当時は、木ノ丸御所の木戸守をも勤めたことがあるという。 そればかりか、上皇が、配所で薨去おかくれ
になったすぐ翌日、御ご 遺骸いがい
をこの白峰の上へ運んで来て、そこで枯れ木や枯れ草をつみ、路傍の行き倒れを焼くのと少しも違わない手段で、無造作に、灰になしまいらせた時も、火クベや灰の始末まで、奉仕したと言うのであった。 ──
で、そういう因縁からも、讃岐院御命日の八月二十六日はいうまでもなく、月々の命日にも、自分ばかりは欠かさずに、土まんじゅうの前へ貧しい御供え物などを捧げて来たが
── 以来、この峰を訪と い弔とむろ
うてくれるお人はほとんどない。里人さとびと
さえも、恐こわ がって近づかない。ひとえに、天魔外道の嘯うそぶ
く峰と思われて、旅人すらも寄りつかない御山なのに ── と、この老農夫は、咄々とつとつ
と、人めずらしそうに語った。そして、 「何か、讃岐院さまと、御縁ふかいお方でもござっしゃるか」 と、麻鳥の顔に訊たず
ね、後ろに見える義経の影を、おそる畏おそ
る畏おそ るながめたりするのだった。
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