麻鳥の願いというのは、 「ここ十里ほどの西に、白峰
と申す所がありまする。── もう二十年も前ですが、忘れ難い御方おんかた
が、そこの配所にて、みまかられました。山深い片田舎のことゆえ、訪と
い弔とむら う人もあろうはずもなく、さだめしお淋しくやあらん、世を人をもお怨うら
みにてやあらん、などと常に気がかりにしておりました。ところが偶然、こんどこの地へ参り合わせました。尽きぬ御縁と申すものかと思われまする。・・・・で、その白峰へ詣まい
りまする。二日ほどのお暇をおつかわしくださいまし」 と、言うのであった。 ここでの陣医組の仕事は、どれほど人びとに喜ばれたか知れない。軽傷者、重傷者、ふつうの病人げつなく、今では麻鳥をみな慈父と慕っていた。 もちろん義経は、彼の願いを、聞き届けた。同時に、ふと、心をひかれたように、 「その白峰には、たれの御霊みたま
が、其許そこもと の訪うのを待っているのか」 と、訊たず
ねた。 「・・・・さればでござりまする」 と、麻鳥は、かたちを改めて、 「はや、年古としふ
りたることですが、かの保元ノ乱の後、讃岐国さぬきのくに
へ流され給い、およそ八年の久しき間、まったく世間との便りも断たれ、ついに大魔王だいまおう
となって狂い死にあそばしたと世に沙汰さるる、あの崇徳すとく
の君でいらせられます」 「おお、崇徳上皇の・・・・あの白峰か・・・・」 義経は、眼をとじた。 そしてにわかに、 「・・・・麻鳥」 「はっ」 「義経もともに連れよ。その白峰へ」 「えっ、御一しょに、詣もう
でられますか」 「遠くもない由、馬なれば、なお、わけはあるまい」 「が、いかなる思し召しで」 「義経が心は、たれ知らぬもよし、ただなんとのう、わしもその白峰を訪うてみたくなったまでだ。・・・・ふと、こう心の動いたのも、そちが申す巡り合わせというものか。 ──
保元のむかし、その崇徳すとく
の君の御謀叛ごむほん を扶たす
けまいらせ、戦い敗るるや、上皇のおん手をひいて、都の北、如意にょい
ヶ峰みね を、逃げさまよいしは、この義経の祖父、六条為義どのでであったと聞く」 「ああ、まことに」 「・・・・しかも」 義経の眉は、何かに、じんと傷いた
むように。 「その君と、祖父為義どのを敵にまわし、矢を射奉った一方の旗頭は、やはりこの義経の父、義朝どのであった」 「仰せのとおり、院方には為義さま、朝廷方には義朝さま、御父子、敵味方に別れての、血みどろな」 「なんたる非業ひごう
な戦いか。義経は、その祖父には孫、その父には子に当る者。はからずも、讃岐さぬき
へ来ておりながら、詣まい らではかなうまい、その白峰へ」 「ありがたい思し召、ぜひ、おん供させていただきまする」 「大勢は、人目立たん。供にはたれを」 と、侍座の面々をかえりみて、二、三の者に駒のしたくを命じておき、なお、伊勢三郎へは
「おそくも、夜半までには立ち帰ろうほどに ──」 と、あとを託して、そっと陣門を出て行った。 もとより微行しのび
。 供人も弁慶、忠信、有綱の三人だけでしかない。 それと麻鳥を加え、主従五騎。 久しぶり、血ぐさい陣と、戦気を離れて、義経はふと、空の太陽までが違うもののように仰がれた。野の蝶々に絡まれながら、駒にまかせてトコトコ駈けるうち、胸は快い呼吸を謳うた
い、額は少年の日のような薄い汗を浮かせていた。 いま行く姿が、本との義経か。戦陣の先をゆく日の彼が、まことの義経か。 どっちが、事実その人であろうかなどと、麻鳥は、後に続いて行きながら、小首をかしげたことだった。 |