〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/30 (日)    みつ (三)

およそ、彼として、今日まで、幾たびの戦場でも、今ほど危険な位置に、自分をも含めた源氏の軍を立たしめたことはない。
それも身一つならば何かは、と思う。
だが、これだけの将士の生命を ── と思うと、たまらなくなってくる。
なまじ、奇略を用いたりしながら、この地で逆に平家から殲滅せんめつ をうけたら、世人は、 「智をろう して、智に敗れたもの」 と評するだろう。 「義経の麾下きか に付いた人びとこそ災難なれ」 と、わら うだろう。
兄の鎌倉どのは 「無謀な、ばか者」 と、自分を大将軍に任じたことを悔いるに違いないし、梶原景時は、 「それみたか、青冠者の思い上がりよ」 と、小気味よげにうそぶくに違いない。
あれこれと、妄想もうそう もわく。
義経は、寝もだえを見せていた。── が、ふと、夢うつつの境に 「・・・・そうだ、それしかない」 と叫びたいような一策をえて、跳ね起きた。
すぐ、弁慶を呼び 「桜間ノ介を、もいちどこれへ」 と招いた。
義経が、桜間ノ介に言ったことは、
「今暁、香東川ごとうがわ の辺りまで せゆき、伊予より来る軍勢を待ち受けて、御辺のおい と聞く大将の田口殿と親しく出会い、義経になり代って、時勢の移り、源平二陣のじつすがた など、よくよく利害をさとし給え。そして、ここは遠き思慮のもとに、鎌倉どのへ随身あるように、叔父たる御辺より、説き伏せてくれまいか」
という頼みであった。そして、また、
「── もとより、田口殿がそれを るるならば、世おさ まって後、いかなる望みたりと、義経が功に代えても、鎌倉どのへの御推挙を誓うておこうし、なおまた、いま長門ながと の彦島にある田口殿の父上、阿波民部どのの御一命も。きっと、義経が助命を計らい申すであろう」
とも言って、将来の約束も与えたのだった。
「心得まいた」
桜間ノ介は、承諾した。
沈痛な姿を、なお、じっとおいたまま、
「しかし、おい田口たぐち 教能のりよし も、平家にあっては、ひとかどの侍ですし、かつは父民部も、 入道殿 (清盛) が恩顧の一人いちにん 。いかように申すことやら、叔父なればとて、かたいお引き受けは出来ませぬが」
ことわ って、かつ、思うままを吐いた。
「が、離反に似る一時の汚名も、後日、平家のためと分かれば、世の毀誉きよ 褒貶おうへん などなんでもありません。ひとりなぐさめていられましょう。昨夜来、そう、自分はさと りえました。信じました。・・・・されば、教能のりよし へも、真情をもって、説くつもりではおりまする。もし、教能が肯き入れぬ場合は、おそらく、二度と帰って、御復命は出来かねるやも知れません。── 万一のため、何人なんびと か十騎ほどの、付人つけびと をお差し添え給わりとう存じまする」
もちろん、義経もそうするつもりだった。
やはて、帷幕いばく の内では、その人選も決まり、土肥実平、遠平父子など十騎ほどが、桜間ノ介と一しょに行くことになった。
義経の注意で、使者はみな、弓、えびら も持たず、よろい具足もまとわず、軽い狩衣かりぎぬ 姿で馬を走らせた。
やっと、白々明けのころである。暁暗ぎょうあん の底を帯のように西へ流れている一すじの街道を、十騎は、低く飛ぶ野鳥のどり のようにうす れて行った。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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