〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/20 (木) あく しち びょう (三)

「こは見ものぞ」
と、源氏の諸将は、見物していた。
眼の前の必死な激闘を、 “見物” するというのは、おかしげに聞こえるが、もちろん、味方が危うくなれば、どっと加勢にかか る気でいるのはいうまでもない。
それは、自己のみならず、他人の武功を重んずる風から来ているのだろう。つまり 「手出しはすな」 と、いうことなのだ。
そのうちに、水尾谷十郎の馬が、屏風びょうぶ 返しに、どうっとたおれた。
── すると、それへ向かって、平家の楯の蔭から、飛鳥のように、薙刀なぎなた をかざして跳び懸かって行った大武者がいる。 「── 十郎、討たれたり」 とたれもが、はっと思ったことだった。
が、十郎は、跳ね起きざま、太刀で相手の薙刀を払った。鮮やかなその手際てぎわ に、彼の味方は、わあっと彼方ではやした。
しかし、平家の武者は、よごど豪の者らしい。十郎に息つくひまも与えないのだ。のみならず大薙刀の下に、十郎は太刀をからみ落とされてしまった。十郎はすぐ小太刀を引き抜いたが、とても小太刀の小業こわざ では、及ぶはずもない。
「残念っ」
と、十郎は叫んだ。 「味方が見ている」 という恥辱感がどこかにある。 「いっそのこと」 と短気になったものだろう。さいごの武器であった手の小太刀を、相手の顔へ向かって投げつけた。そして、組もう、としたのである。
ところが敵は身を沈めながら、彼の投げた小太刀を薙刀で宙へ払った。小太刀は氷片ひょうへん のようにどこかへ素っ飛び、返す大薙刀の は、十郎の脚もとをすごい力で ぎ抜けた。
十郎の影が跳んでそれをかわす。ふたたび薙刀が風をまいて来る。十郎はもう無手だった。組もうとしても、相手は組ませない。十郎は後ろを見て逃げかけた。
卑怯ひきょう ぞっ、水尾谷みおのや
相手は初めてものを言った。
満々たる自信を持って、十郎を半嬲はんなぶ りにしようとするものらしい。十郎が後ろを見せると、彼は薙刀を左手ゆんで に持ちかえ、右手を伸ばして、むずと、十郎のかぶとしこり を引っつかんだ。
「うっ」
十郎は、あごを上げた。
仰向けのまま引き戻されて、それない後ろへたおれるかと見えたが、十郎の顔が朱に染まった。そして満身の力が、喉首のどくび を太くし、とたんに、兜の付け際からしころ がちぎれた。
「あ ──」
と、勢い余って、十郎の体は、前へ泳ぎ、後ろの敵は、切れたしころ の一枚を手につかんだまま、タ、タ、タ、とかかと ずさりに後へよろめいた。
わあっと、再び源氏の陣から、どよめきが揚がった。声のあらしの中で、ある者は、
「腕の強さよ」
と、舌を巻いて言い、またある者は、
「── 首の強さよ」
と、十郎の力を賞めた。
十郎の姿を、どこかへ見失ってしまうと、一方の平家の猛者もさ も、味方のいる所へ、跳んで帰っていた。彼は手に持っていたしころ を薙刀の先に突っかけて、高々とさし上げ、
「やあ、買わんか、買わんか、牟礼むれ 土産を。── かくいうは、京礼きょうわらべ 童も名を知る平家の侍、上総悪七兵衛かずさのあくしちびょうえ 景清かげきよ ぞや」
と、大声で名乗った。そして、味方の者たちと一しょに、どっと笑いはやした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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