〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/20 (木) あく しち びょう (二)

すると、その直後だった。
平家方の船陣から、幾艘かの兵船が、盲目的に、近くの浜へ ぎつけて来た。
おそらく、これは、ともども、敵の妙技をたた え、ふなべり をたたいて興じていたのに、とつぜん源氏の無残な矢が、小舟の上で舞っていた十郎兵衛家員いえかず を射殺したので 「── あな無慈悲、心なき源氏のやつばら 」 と怒った平家の侍が、上将の命も待たず、捨て身でやって来たものに違いない。
だから、まま見る平家武者とはちがい、
「眼にもの見せんず」
とする血相も、そこの兵船から、わらわらと跳び上がって走って来る猪突ちょとつ ぶりも、おそろしく勇敢な者たちだった。
楯を持った五、六兵。長柄、薙刀なぎなた を打ち振ってくる数名、強弓をつがえたまま、ひた走りに向かって来るただ一人いちにん 。── 口々に源氏をののしって、つむじのように、荒れまわった。
もちろん、それだけではない。後から後から、同様な猛兵が、幾組も続いて来る。
「さても、すさまじき敵」
義経のいる辺りまで、そこの雪崩なだれ が打って来た。義経は、
「油断すな」
と、構えて、
「敵に正しい用意はない。ただはや り気のいのしし 武者ぞ。腕強うでづよ なるわが若党ども、駈け合わせて、あれ蹴散けち らせ」
と、いいつけた。
彼はわざと 「若党ども」 と命じたのは、盲突して来た敵の男どもも、大将格以下の侍にすぎないと見たからであろう。事実、こんな時でもなければ、それらの無名な侍組は、めったに君前で晴れの名乗りをあげる機会はない。
「ござんなれ、平家の雑魚ざこ ども」
と、一番に駆け出した若者は、
「── 武蔵国むさしのくに 比企ひき の住人、水尾谷みおのや 十郎じゅうろう
と、おめきながら、太刀をかざして、敵のたて 二、三枚を馬で蹴散けち らした。
つづいて、聞こえる声々には、
上野国こうずけのくに の住人、丹生にぶの 四郎しろう
「信濃の住人、木曾きその 中次」
水尾谷みのおや 十郎が弟四郎。おなじく藤七」
など、いずれも、東北なまりを持った、そして血気盛んな、若者ばかりだった。
だからこの一戦は ── 一戦ともいえないほどのものだったが ── 物凄ものすご い力闘が相互の間にまき起こされ、撲る、組む、蹴る、突く、こう を割る、上になり下になるなど、まるで真っ黒な小旋風が地をころ がって行くようだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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