〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/18 (火)  いちゆう うつ (一)

ぞ、人はないのか。かくも東国武者が、おもて を並べながら、あの扇一つ、射て見せんとするほどな者もいないのか。敵にわら われんも口惜くちお し、われと思わん者は、名乗って出よ」
義経は、かさねて、味方の上へ、大きな声で言った。
感情の子、義経である。この大将の姿には、よくもあしくも、そのもちまえのものが、内から染め出すほど、満身の色に出ることがある。
「ないのか」
全軍、おし のようだった。せき として、声もない甲冑かっちゅう の光ばかりをながめて、語気はばお、激越の を加え、
「あれ見よ、あの小舟を。源氏には人もなきやといわぬばかり、憎げなる老武者めが、これ射ぬかぬかと、なお身振りしてわめ いておるぞ。── 敵になぶ られつつ、よそ眼に過ごす慣いは東国武者のあいだにはないこと」
と、叱咤しった し、
「弓矢の武門、たとえ難事たるにせよ、弓矢にかけてのことに、ひる みをみせて、なんの武者ぞ。── 源氏の軍勢こそは、屋島の戦いに勝ったれど、扇の的には、後ろを見せたりと聞こえては、名折れなれ。ひいては、鎌倉殿の武者所には、人もなしと、世にあなすられん。── 平治以来、東国の野に伏して、二十年の鍛錬は、なんのためにしてぞ」
と、わざとののしった。
すると、後ろの方で、たれかが馬をとび降りた。ざっと、草摺くさずり の音が、その者の体をつつみ、その姿は小走りに、義経のこま わきへ来て、ひざまずいた。
「人を いて、おこがましゅうは存じますが、その仰せつけ、そらがしへ、おくだし給わりませ。いたしまする。きっと、いたしてみせまする」
「・・・・や、大八郎か」
「は。── 広言を吐くようですが、幼きより、いささか、弓は習うてまいりましたし、故郷ふるさと では、弓の那須よ、弓の家よ、といわるる中に、生い育って来た身でもありまする。射ても、射損じても、一代の身の晴れ事。もし、仕損じたら、香取かとり の神にも見離されたるわが弓の道、生きて、このなぎさ には戻りますまい」
と、一命を している容子ようす が、眉にも、 て取れた。
それは、那須大八郎だった。
── 彼を前に、義経はすぐ思い出していた。
十年前、この大八郎と、兄の余一とが乗っていた舟に助けられて、坂東ばんどう の大河、大利根おおとね の流れを越えたあの日のことを ── だった。
由来、那須兄弟は、年々の香取ノ宮の奉射祭ぶしゃまつ りには、競射をかねた参拝を欠かしたことがなく、故郷の下野国しもつけのくに から兄弟そろって出かけて行き、東国中の弓自慢が集まる晴れの競射でも、名誉を取り損じたことは内。 「── 那須は弓の家」 とさえ、当時すでに、あの地方では言われていたものだった。
「おう。・・・・名のり出でしか、大八」
過去の記憶にも、ふと、くるまれながら、義経はニコとうなずいた。 「よくぞ」 という満足と同時に 「── 大八ならば」 と、期待をかけたにもちがいない。
ところが、彼の言葉もないうち、またも一人の武者が、大八郎のそばへ駆け寄って来、ともに手をつかえて、
「その儀は、この余一宗高にお命じください。弟大八の功を奪うやに似ましょうが、今日昨日の戦場にて、弟の矢すじも見るところ、弓勢ゆんぜい こそ人に劣らぬものはあれ、なお、心もとないものがありまする。── 波上はじょう の小舟、風にすらゆるあの扇のまと 、しかも、海へ馬を乗り入れて射ねばなりませぬ。なんで、矢力やぢから のみにて あてられましょう。── 余一が仕ります。何とぞ、それがしへ」
と、弟をかば う真情は内に隠して、ただその自信のみを、眸に誇って、義経へ言った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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