〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/17 (月) たま   むし (五)

そのあとで、人びとは、玉虫の心理を、しめやかに臆測おくそく していた。
── 玉虫には、恋人があったらしい、よ。
尼は、眼をうるませ、ふと、そんなつぶやきをもらした。
流亡の境涯であれ、戦陣の中であれ、多くの若い女性も交じっての、漂泊である。
長い月日には、恋も結ばれるのは当然だった。ひとり玉虫だけではない。
しかも、たれの恋も、その恋はつよいものだった。── 明け暮れの艱苦かんく をともにするというだけでも、お互いの燃焼は、いやまさるものなのに、彼らの恋は、つねに生死の明滅の中にあった。 「明日の命は」 と思いつつのはかないが強い抱擁ほうよう なのだった。
若い命が長いものと信じきれず、たえまない恐怖とはかなさにおののきつつ、その若さを一瞬に燃やしきろうとする恋ほどおよそ熾烈しれつ な恋はあるまい。
源氏は知らず、平家の陣中には、こうした恋が、繚乱りょうらん とつつまれている。源氏は純粋な軍隊だが、平家は男女混合の大世帯を抱えた半軍隊といってよい。自然、内輪事もとかく多い。しかし、都と違い、ひそかに、隠し合っているだけのことだった。──
で、玉虫の身にも、それらしい日ごろの容子ようす があったことは、尼も知っていたし、教経も知っていた。
知りつつも、それを、
── 無理もなや。
と、よそ眼に許しているのがまた平家人へいけびと であったのだろう。源氏のような、すでに軍律を持った軍隊ではない。西八条、六波羅などの花の館が、そのまま、都の外へ漂い出て、ただ自己を守る為に、戦い戦い、吟に化して来たに過ぎない。
「思い当たるふしもありまする」
ふと、尼がもらした玉虫の恋について、教経も、こう語った。
「── 今日の浜戦はまいくさ にては、味方も三十余名をうしな いましたが、うち二十余名の亡骸なきがら は、舟に収めて引き揚げました。ところが、死者の中に、日ごろ、玉虫とちぎ っていた恋人のかばね もあったように思われまする。── と申す仔細しさい は、屍を師僧たちの御堂船へ移すさい、べつな船の欄から、玉虫がのぞいておりました。その悲しげなまゆ といったらありません、今も眼についているほどです。── が、この能登の姿を知ると、すぐ、船屋形へ隠れ、几帳とばり の蔭で、身も世もなく泣いている容子でした。・・・・そのことは、尼公あまぎみ にも、よそながら御存知だったと思いますが」
「・・・・おお」
尼も、わずかに、うなずいた。
そして、そのかばね となった彼女の恋人が、たれであったかも知っているふうであったが、尼も教経も、名は言わなかった。
ただ、人びとにも、すぐ解けたことは、すすんで源氏の矢前に立とうとする玉虫の心であった。── 恋人の後を追って、恋人の討死した場所で、しかも同じ日に死なん ── と望んでいるに違いないと考えられた。
やがてのこと ──
日の扇をかか げた用意の小舟が、宗盛らの大将軍船の下へ ぎ寄せられた。小舟の上からは、
「仰せ付けの支度なできまいた。召される女房は、どなたなるや、はや召されい」
と、しきりに、呼ばわる声がした。
その男は、伊賀の平内左衛門の弟、十郎兵衛じゅうろうびょうえ 家員いえかず という者だった。
多少、剽気者ひょうげもの で、口達者であり、 「あれこそ、よからめ」 と名指されたのだが、とう の十郎兵衛は、むしろ得意そうであった。
小舟は、玉虫を乗せ、いよいよ、味方の船陣を離れて行く。十郎兵衛家員いえかず は、白木の薙刀なぎなた をかい持って、舞ってみせたり、冗談を言ったりして、朋輩たちを笑わせた。── が、玉虫は、扇の下に、さすが悄然しょうぜん とその姿をたたずませ、味方のすべての顔へ、無言の別れを告げているふうであった。
「あな、あわれ」
と、その玉虫を見るもあり、また、
「美しい、つねよりも、また美しい」
と、別な意味で、たん をもらす者もあった。
しかし、多くの軍兵は 「すわ、見ものぞ」 と、これに歓送の手を振った。そして 「果たして、源氏が扇を射るか、射損じるか。益ないわざ と逃げて、十郎兵衛家員いえかず に、口汚くののしられるか。いずれにしても、見ものぞ、聞きものぞ」 とはやしあった。
宗盛たち上将も、自然、興にそそ られてきたきたものだろう。── やがて、お座船、大将軍船をはじめ、諸船もろふね の影すべて、徐々に沖の陣をそのまま押し進め、小さい日の扇の影を追って、くが との距離をちぢめて行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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