〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/17 (月) たま   むし (四)

ここに、女房船の内のひとりに、玉虫たまむし とよぶ女性がいた。
年は、十九とか。
天性の美というものだろう。こんな戦の中でも、その佳麗かれい さは、少しも失われていない。
建礼門院けんれいもんいん が、后立きさきだち のころは、たくさんな女童めわらべ の中に交じっていたのであるが、可憐かれん な子だったし、舞も上手で、物事にもよく気が付くところから、二位ノ尼にも愛され、流亡の後は、尼づきの雑仕女ぞうしめ の一人として、つねに尼のそばに仕えていたものだった。
「・・・・尼公あまぎみ さま」
かの女は、自分から申し出た。
「わたくしをおつかわしくださいませ。扇の的の下に立って、敵の間近へ参るとか言うその小舟へ」
さっきから玉虫は、尼のうしろに控えて、宗盛や教経たちの話しを聞いていたのである。
「・・・・そなたが?」
尼はちょっと驚きの眼を後ろへやった。が、何か、玉虫の胸の内をすぐ解いたようでもあった。しばらくして、うなずいてみせ、
「ご採択は、諸卿しょきょう のお旨にあること、内大臣おおい殿との なり、能登どのへ、伺ってごらんなさい」
と、小声でさと した。
もちろん、彼女の願いは、即座に許された。── 適当な女人などあるまいと、たれもが、困惑していたところでもあったから、
「おお、玉虫か。そなた、すすんで扇の下に立ってくれるか」
と、みな、よろこんだほどだった。
しかし、教経一人は、
「行くか」
と、玉虫の方を見て、念を押すように、もいちどいった。玉虫の黒髪と、かすかな肩のふるえを、いた ましそうに、いつまでもながめていた。
「む。・・・・よかろう」
やがて、彼は思い切ったように言って、
「敵味方の見候うなか、わけて、荒くれな東国の武者どもは、ものめずら に、あれよ、平家の女性にょしょう なるかと、ひとみ をこらすことであろう。── 都にありしころの、晴れの日とも思うて、よそお らせよ、玉虫」
「はい」
「恐ろしいと思うほどなら、よも、われからそのような役、望みもしまいが、すがすがとにお やかに立って見するがよい。女性として、平家人へいけびと たるものは、かかるおりにはこうぞと、東国武者ばら に見せてつかわせ」
「はい」
玉虫は、粧いのため、しばらく、そこを退 がった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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