〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-]』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
うき の 巻

2014/03/17 (月) たま   むし (二)

いったい、平家の真意は、どこにあったものだろう。
扇のまと 、扇の心は?
ただ 「これ射てみよ」 の児戯じぎ だけではあるまい。
では、義経の言う 「── 見せかけのゆとり」 か 「士気を鼓舞するため」 だったのか。
あるいは、単なる、平家的風流にすぎないものか。
屋島合戦といえば、古来必ず 「扇の的」 と、那須与一の名がうた われ、この条項くだり を除くわけにはゆかないが、しかし、その大事な焦点 ── 平家方の目的は何であったかということは ── 古典平家の著者をはじめ、たれもそれには触れていない。
陣中でも、和歌、管絃のたしなみを忘れなかった平家の人びと。
流亡るぼう の波間にも、みやびな起居や、宮廷様式までを、持ち歩いていたこの一門。
扇の的も、詩と れば、その人びとの叙情の表現とも、悲哀を消すための陣中の一興とも解せないこともないが、二月二十日、未明から終日にわたる激戦と大混乱の中での趣向にしては、余りにも閑日月な遊びにすぎる。── よしや、一場いちじょう の風流としても、源平相互の陣が、人の命を けて騒ぐほどな意味がどこにあったか疑わずにはいられない。
一書には 「これは平家方が、うらな いにためにしたことだ」 といっている。
源氏がまと を射損じたら、平価が勝つ。もし、 当てたら、平家のきょう
そう、神占しんせん を思いついた一門が、
“── いくさ占形うらかた にぞ立てられける”
と、いうのである。
けれど、これもおかしい。その日の合戦も、まだ激戦半ばであった。多くの死傷者をかかえて、沖へ引き揚げたばかりである。また占いなら、平家の凶と出るかも分からない。凶と出たら、味方の士気を、いちどに阻喪そそう させてしまうであろう。
── 思うに。
表面は平家らしい風流に似せているが、真の意図は、やはり何か戦術上のふくみがあったに相違ない。
そして、おそらくそれは、伊予から引き返して来る味方が、義経の背後に現れるまでの、時を稼ぐかけ引きの一つではなかったろうか。
とにかく、平軍としては、間断なく、敵の注意を海上の一方へ引き付けておく必要があった。源氏方をして、背後に迫る情勢を気取らせまいためにである。
平家弱しと言われても、またいかに半貴族的な人びとであったのいせよ、ただむなしく海上に戦陣をつらねていたわけではない。平家の方にも、そうした基本的戦略と、必ず勝たんとする自信は、充分、持っていたのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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