〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/16 (日) おうぎ (二)

「なに、菊王丸とな。では、この者は、わぬしの知り人か」
「てまえも、もとは平家の内に仕えていましたので」
「平家方の童武者とは分かっておるが・・・・」
「さようで」
駄五六は、急に、言葉もつげないらしい。思いがけない驚きに昂奮したのだ。ようやく落ち着きを取り戻して、やがてこう語り出した。
この菊王丸は、たしか、生年しょうねん 十八歳ぐらい。
以前は、能登守教経の兄、越前三位えちぜんのさんみ 通盛みちもり の侍童 (小姓) であった。
都にいたころは、駄五六も、主人の供で、よく通盛卿の館へ行ったことがあるので、小さい菊王丸とは、前々から顔は知り合っていた。
わけて、一ノ谷、鵯越えの滞陣のさいは、駄五六の主人は、会下山えげさん に陣し、通盛卿は、明泉寺に陣していたので、使いのたびには、菊王丸の安否をたずねた。菊王丸の方でも、駄五六を、なんとなく慕っていた。ときには、拝領の菓子などを、そっとくれたりしたこともある。
「・・・・・申せば、それだけのことでしかございませんが」
と、駄五六は、ぼろぼろ泣いて、
「鵯越えで、おしゅ の越前三位さまは、討死なされましたゆえ、その後は、菊王丸の身も、御舎弟の能登どのに引き取られ、能登どのに、可愛がられていたものでございましょう。あんな気だてのよい子が、このような死にざまを遂げようとは・・・・」
「さてこそ、能登どのに従って、今日の合戦にも、働いていたのであろう。親は、いずこの人やら」
「お願いです。菊王丸の亡骸なきがら は、どうか、この駄五六にくださいまし」
「なきがらを」
「はい」
「どうするのか」
「ここで、てまえに巡り会うたのも、よくよくな今生の縁。背に負うて、どこぞの海の辺りに、とむろ うてやりとうございまする」
殊勝しゅしょう なことよ。わしから、判官殿へお願いしてあげる。ともあれ、負うて来るがよい」
と、麻鳥も手伝って、菊王丸の遺骸いがい を、駄五六が背中に負い、やがて、一叢ひとむら の松の木の間に見える義経の本陣へ帰って来た。
義経は、麻鳥から、菊王丸の素姓やら、日ごろの心ばえなど聞いて ──
「さても、そう聞けば、いとど不愍ふびん 。忠信にとれば、かたきの片割れながら、すでに一土いちど御仏みほとけ なれ。・・・・継信とともに、弔うてとらせん」
と、その亡骸なきがら を、佐藤継信の遺骸いがい と並べて、里の僧の読経を うた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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