「なに、菊王丸とな。では、この者は、わぬしの知り人か」 「てまえも、もとは平家の内に仕えていましたので」 「平家方の童武者とは分かっておるが・・・・」 「さようで」 駄五六は、急に、言葉もつげないらしい。思いがけない驚きに昂奮したのだ。ようやく落ち着きを取り戻して、やがてこう語り出した。 この菊王丸は、たしか、生年
十八歳ぐらい。 以前は、能登守教経の兄、越前三位えちぜんのさんみ
通盛みちもり の侍童 (小姓)
であった。 都にいたころは、駄五六も、主人の供で、よく通盛卿の館へ行ったことがあるので、小さい菊王丸とは、前々から顔は知り合っていた。 わけて、一ノ谷、鵯越えの滞陣のさいは、駄五六の主人は、会下山えげさん
に陣し、通盛卿は、明泉寺に陣していたので、使いのたびには、菊王丸の安否をたずねた。菊王丸の方でも、駄五六を、なんとなく慕っていた。ときには、拝領の菓子などを、そっとくれたりしたこともある。 「・・・・・申せば、それだけのことでしかございませんが」 と、駄五六は、ぼろぼろ泣いて、 「鵯越えで、お主しゅ
の越前三位さまは、討死なされましたゆえ、その後は、菊王丸の身も、御舎弟の能登どのに引き取られ、能登どのに、可愛がられていたものでございましょう。あんな気だてのよい子が、このような死にざまを遂げようとは・・・・」 「さてこそ、能登どのに従って、今日の合戦にも、働いていたのであろう。親は、いずこの人やら」 「お願いです。菊王丸の亡骸なきがら
は、どうか、この駄五六にくださいまし」 「なきがらを」 「はい」 「どうするのか」 「ここで、てまえに巡り会うたのも、よくよくな今生の縁。背に負うて、どこぞの海の辺りに、弔とむろ
うてやりとうございまする」 「殊勝しゅしょう
なことよ。わしから、判官殿へお願いしてあげる。ともあれ、負うて来るがよい」 と、麻鳥も手伝って、菊王丸の遺骸いがい
を、駄五六が背中に負い、やがて、一叢ひとむら
の松の木の間に見える義経の本陣へ帰って来た。 義経は、麻鳥から、菊王丸の素姓やら、日ごろの心ばえなど聞いて ── 「さても、そう聞けば、いとど不愍ふびん
。忠信にとれば、かたきの片割れながら、すでに一土いちど
の御仏みほとけ なれ。・・・・継信とともに、弔うてとらせん」 と、その亡骸なきがら
を、佐藤継信の遺骸いがい と並べて、里の僧の読経を請こ
うた。 |