近くの寺から来た数名の僧は、ねんごろな読経の末、香
を拈ねん じて、やがて帰りかけた。 すると、義経は、その僧たちを、呼び止めて、 「陣中なれば、取らすべき布施ふせ
の物だに候わず。この馬は、さきに義経が、五位大夫ごいのたいふ
に叙じょ されしとき、馬にもよろこびを頒わ
けんと、そのおりより “大夫黒たゆうぐろ
” と名づけたる馬。はや、老い疲れたれど、宇治川、鵯越えも、越えたる愛馬。── これなん、御寺みてら
へ寄進きしん し参らすれば、老後までも、大事にして、飼い養いおかせ給え」 と、一封のかねを、飼糧料かいばりょう
として添えて、贈った。 「こは、馬にまで、御慈愛を・・・・」 と、僧たちは、三拝の礼をした。そして大夫黒の手綱を引いて帰って行った。 また、駄五六は、ゆるしを得たので、麻鳥と一しょに、菊王丸の亡骸を背中に負って、 「どこぞ、朝夕、鳥の音ね
でもするような静かな土へ」 と、葬る場所を、あちこちと、尋ねて歩いた。 ── こうして、この日、二月二十日も、いつか半日を過ぎ、屋島の東側の浦へ、濃い山翳やまかげ
りを落として、やがて、未ひつじ
の下刻げこく (午後三時)
ごろ。 一過いっか の修羅しゅら
のあとは、急に一時、しんとして来て、何事もないいつもの浦風や波音の日よりも、かえって一そう寂せき
とした一瞬がただよっていた。 ── すると、汀なぎさ
の方から、物見の一騎が、 「おん大将、おん大将やおわす。異い
なものが、沖より近づいて見えまするぞ」 と、物々しげに報し
らせて来た。 幕舎を張らせて、ひと休みしていた義経は、すぐ立って、 「何事ぞ、吾野あがの
余次郎よじろう ── 次の新手か」 「いや、戦わんとする新手とも覚おぼ
えませぬ。── 沖なる平家の船陣を離れたただ一艘の小舟、上には、柳の五衣いつつぎぬ
に、紅くれない の袴をはいたる小女房一人を立たせ、こなたの岸へ向かって漕こ
ぎ近づいてまいりまするので」 「はての?」 解げ
せぬ面もちであったが、 「弁慶。わしのかぶとを」 と、一時脱いで、彼の手に預けておいた兜かぶと
を取って、きっと、緒お を締め、 「平家よりの軍使いくさづかい
いか、さなくば、何かの計はかり
でやあらん。ともあれ、義経が見とどけん」 と、駒へ乗った。 彼に続いて、諸将も馬をそろえ、い一せいに、浦の汀まで、駆け出した。 海の色は、午ひる
ごろよりも、碧あお の深さをずっと加えている。 ──
なるほど。 女官すがたの一人の上臈じょうろう
を乗せた小舟が、それ一艘のみ、瑠璃るり
色いろ の波を切って、こなたへ、漕こ
ぎ近づいて来るのが見える。 そして、なんの謎か。 小舟のわき板の辺りから、高々と、旗竿を立て、その先に、旗ではない、紅地べにじ
に金の日の丸を描いた扇を一つ掲かか
げていた。 |