〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/15 (土) おうぎ (一)

あなたこなたと、麻鳥の姿を探していたらしく、駄五六だごろく は、ふと、そこへ来て。
「やあ、ここにおいでで」
「駄五六か。みなは、どうしておるな」
「されば、すぐさま、てまえの指図の下に、諸所に見えた傷負てお いの者を、かなたの農家小屋へ、運ばせておりまする」
「それや、さっそくな気転よ」
と、麻鳥は、大いに めてやった。
「おぬしにしては近ごろの上出来、傷負てお いの手当ては、薬餌やくじ よりも、早いがよい。ただ早いのが肝腎だ」
「てまえも、十人の組頭、以前の駄五六では、おざりませぬでなあ」
「いやいや、以前のままな駄五六が、わしは好きだよ、なまえら ぶり出すのが、そもそも、人間のごう の始まり、それがつのると、こんな合戦にもなりたがる。・・・・や、むだ口をいうている時ではあるまい。なお、どこかに、救いを待っている傷負てお いもあろうに」
麻鳥は、浜の汀へ向かって、歩き出した。
源氏方でも、死者はすぐ収容してしまったものか、どこにも余りかばね は見当たらない。
「存外、討死の衆は、少なかった模様で」
「そうでもあるまい。駄五六、おぬしの踏んでいるのは、血しおのあと ではないか」
「やっ、そ、そうらしい。これは、気持の悪い」
「胸が痛む。・・・・その血も、どこの妻や子に通う血しおやら」
「この辺、下を見ては、歩けませぬわい」
「避けて通れ、避けて通れ。まだ、血は血の色をしている、 いている」
「おや?」
駄五六は、そこのなぎさ に漂っている幾艘もの小舟の一つを、及び腰でのぞきこみながら、
「こ、この小舟の中にも一人、ころがっているわ。・・・・もう、死んでいるらしいが」
と、後ろの麻鳥へ、手招きした。
「いたか」
と、麻鳥も、寄ってみた。
── 見ると、小舟の底に、うつ伏しているのは、まだ十七、八かと思われる童武者わらべむしゃ であった。
身分は低い者にちがいない。萌黄もよぎ腹巻はらまき だけを着込み、そまつな三枚しころかぶと をかぶっている。手には、太刀をかたく握ってい、顔は見えない。
「・・・・・・」
麻鳥は、舟べりをまた いで、童武者の体をかかえ、まぶた 、脈、傷口など、慎重に て調べ出した。
その眸と、指先には、助かるものならなんとか助けたいとする医師くすし の一瞬の懸命と慈悲がこもっている。── が、やがて、
「気のどくな」
つぶやいて、そっと、童武者の瞼へ、彼も瞼をとじて、何かを念じた。
すると、それまで、汀にいたまま、じっと生唾なばつば をのんで見ていた駄五六が、
「おうっ、その顔には、見覚えがある。そうだ、菊王丸きくおうまる にちがいない。・・・・菊王だ、菊王だ」
と、喚きだして、突然、彼も小舟のうちへ、飛び込んで来た。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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