〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/15 (土) あさ とり まい (三)

そもそも、義経があの荒天こうてん と風浪を見ながら、摂津の渡辺ノ津を船出せん、と意を決したとき、当然、従う者は股肱ここう の郎党と、鎌倉の精鋭にかぎり、陣医の麻鳥などは、 「── ともに」 と願い出ても、
「それには及ばぬ」
と、従軍は許されなかったものだった。
けれど、麻鳥は、
「かかるおりに、ともに参らなければ、陣医として、軍にいるかいはありませぬ」
と、たって志願し、麾下きか の一艘に乗り交じって、ともに阿波の勝浦までは渡って来た。
まず、そこまでは、船なので、あの荒天も一しょに越えて来られたが、しかし、その朝からの、桜間さくらま 攻めの急襲きゅうしゅう だの、昼夜もない阿讃あさん 国境の踏破とうは などは、とうてい、武者でもない彼のよくなし得るわざ ではない。
渡辺ノ津にいたときから、彼には、十人の手伝いが、部下として付けられていた。
つまり看護兵みとりへい である。陣医組といっていい。
組頭くみがしら は、鵯越えの合戦のさい、麻鳥に救われて以来、麻鳥について、まったく彼に心服して仕えていた元平家の雑兵、駄五六だごろく だった。
義経の急進撃にとり残され、麻鳥は、ちょっとそのさい、途方にくれたが、駄五六は、あわてもしない。
落伍らくご には馴れている。
「先は、屋島の裏道と、分かっておりまする。わららの組は、そこへさして、まっすぐ行けば、ちょうどお味方に追いつきましょうで」
時にとって、駄五六の凡下思案ぼんげじあん も、なかなかおもむき があり、捨て難い。
彼の言うがままに、陣医組の十人は、阿波あわ から讃岐さぬき 越えを、馬の背ながら、いともトボトボと後から続けていたのである。
いま、義経が、
「・・・・よくぞ」
と、彼の顔を見るなり言ったのは、麻鳥も軍に付いて来たなどということは、勝浦の朝以来、まったく、忘れ果てていたからであろう。
「まず、おつつがものうて」
麻鳥には、それだけしか、言えなかった。
ここへ着くやいな、凄愴せいそう な実戦のあとをすぐ眼に見、血の香のただよいに面を吹かれ、日ごろから 「なぜ人は、人間同士で、血を流しあわねばならないのか」 を疑い、それを極端に、人間の宿業しゅくごう倦厭けんえん している彼の魂には、なんとも耐えられないものが、身のうちで いていた。
「いや、思い出せば、ぜひ陣医として、義経とともに西下してくれと頼んだのは、堀川にいたときからの約束であったの」
「さしたるお役にも立つまいかと存じますが、あわれな戦場のいけにえたちを、少しでもお救い出来れば、この麻鳥にとっても、大きなよろこびでございますゆえ」
「今日のみでなく、戦はなお、つづくであろう。きっと、頼みおくぞ」
「承知いたしました。・・・・なれど、かつて、一ノ谷の御合戦のおりも、お願いしておきました通り、武門には敵味方もあれ、医には、源氏も、平家もありません。・・・・みなおなじあわれな人びとです。時により、平家の傷負てお いも助けとらせますが、その儀は、このたびも、おゆるしくださいましょうか」
「あらためて、申すまでもない。── 阿部麻鳥は、義経一人の味方なりとは思うてはおらぬ。医師くすし 麻鳥は、源氏にもあらず、平家にもあらず、なべて世の人間の味方であれ。自身、地獄の仏と思うて、情けの見舞いとして、働いてくれい」
「それを伺って、いささか、胸の落ち着き得ました。ありがとう存じまする」
「では、後刻また会おう」
義経は、なお、継信のとむら いに心をひかれているらしく、すぐ彼も陣後へ歩み去った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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