〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/15 (土) あさ とり まい (二)

「有綱か。何事ぞ」
「ただ今、麻鳥あさとり どのが、御陣のあとから、追いついて参りました」
「何。・・・・麻鳥が、いま見えたるか」
「なにはともあれ、継信どのの手傷、さっそく、彼にお せあっては、いかがなもので」
「はて・・・・この重態、いかに麻鳥が名医でも、手当ての いはあるまいが、ともあれ、連れて来い、急いで」
「はっ」
有綱は、どこかへ走って行き、すぐ、旅姿の阿部あべの 麻鳥あさとり を伴って、戻って来た。
しかし、その間に、継信は、弟の忠信と義経に、両の手をとられながら、なんら思い残すことはないかのように、もうこの世のまぶた をとじていた。
麻鳥は、ここへ来るなり、すべてを後に、すぐ継信の容態と傷口を たが、しょせん、施すすべ はなかった。つと、離れて、両手をつかえ、
「はや、御落命にござりまする。まことに、惜しいもののふを」
と、義経と忠信へ向かって告げた。
「・・・・・・・」
よろいの袖を顔に押し当ててまま、義経と忠信はともに嗚咽おえつ をつつんでいた。ほかの諸将も、凝然ぎょうぜん と、涙を頬にしたままである。
「・・・・ぜひないこと」
義経は、やっと、
「この辺りに、寺もやある?」
と、諸将の顔を見てたずね、
「もし、寺僧のおらば、陣へしょう じて、継信のために、卒婆婆そとば きょう なと書いて、回向えこう して給えと、沙汰くだ せよ。── また忠信は、亡骸なきがら をどこぞへ移し、戦場なれど、一夜はそば にいて、兄の通夜つや をしてやるがよい」
と、言った。
義経が自身の嘆きと、忠信への深い思いやりとは、およそ義経と起居をともにした者なら、たれにもよく察しられた。
継信、忠信の兄弟と、義経との縁は、単なる主従以上のものであった。
義経がまだ十六の昔 ── 鞍馬くらま を出て流浪るろう の果て ── みちのくの秀衡ひでひら を頼って奥州へくだ る途中、信夫郡しのぶごおり の佐藤荘司の後家ごけ あま の家に、雪の一夜を過ごした時からの縁であった。
その後。
兄頼朝が、旗あげと聞いて、みちのくから関東へ せつけるさい、兄弟して、朗従に加わり、それ以来一日とて、義経の側を離れたことはない。
富士川、鵯越えにも、ともに生死の間を駆け、やがて世も静まった後には、故郷ふるさと にある老母を都へ招いて 「・・・・いつか、信夫しのぶさと に泊った雪の一夜、そのおりの、むかし語りなどしようものを」 と、よく言い合っていたものだった。
兄弟の母、荘司の後家は、男まさりな尼である。とはいえ 「継信、死せり」 と知ったなら、どんなに悲嘆することだろう。また、残された忠信の、これからの孤影も今から眼に見える思いがする。
「思し召し、かたじけのう存じまする」
やがて ──
諸将は、みな自分の事のように、義経のあたたかな気持へ、ぬかずいた。
そして、悄然しょうぜん たる忠信の姿と、冷たい遺骸いがい を囲んで、静々しずしず と、陣後の方へ歩み去った。
「・・・・・・」
義経はなおたたず んだままでいた。じっと、見送っていたが、ようやくわれに返った容子ようす で、
「麻鳥」
と、後ろの池上を見、
「よう参ったな、ここへ寄れ、もそっと近う」
と、磯松の根へ、腰をおろして、親しげにさしまねいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next