「有綱か。何事ぞ」 「ただ今、麻鳥
どのが、御陣のあとから、追いついて参りました」 「何。・・・・麻鳥が、いま見えたるか」 「なにはともあれ、継信どのの手傷、さっそく、彼にお診み
せあっては、いかがなもので」 「はて・・・・この重態、いかに麻鳥が名医でも、手当ての効か
いはあるまいが、ともあれ、連れて来い、急いで」 「はっ」 有綱は、どこかへ走って行き、すぐ、旅姿の阿部あべの
麻鳥あさとり を伴って、戻って来た。 しかし、その間に、継信は、弟の忠信と義経に、両の手をとられながら、なんら思い残すことはないかのように、もうこの世の瞼まぶた
をとじていた。 麻鳥は、ここへ来るなり、すべてを後に、すぐ継信の容態と傷口を診み
たが、しょせん、施す術すべ はなかった。つと、離れて、両手をつかえ、 「はや、御落命にござりまする。まことに、惜しいもののふを」 と、義経と忠信へ向かって告げた。 「・・・・・・・」 よろいの袖を顔に押し当ててまま、義経と忠信はともに嗚咽おえつ
をつつんでいた。ほかの諸将も、凝然ぎょうぜん
と、涙を頬にしたままである。 「・・・・ぜひないこと」 義経は、やっと、 「この辺りに、寺もやある?」 と、諸将の顔を見てたずね、 「もし、寺僧のおらば、陣へ請しょう
じて、継信のために、卒婆婆そとば
経きょう なと書いて、回向えこう
して給えと、沙汰下くだ せよ。──
また忠信は、亡骸なきがら をどこぞへ移し、戦場なれど、一夜は側そば
にいて、兄の通夜つや をしてやるがよい」 と、言った。
義経が自身の嘆きと、忠信への深い思いやりとは、およそ義経と起居をともにした者なら、たれにもよく察しられた。 継信、忠信の兄弟と、義経との縁は、単なる主従以上のものであった。 義経がまだ十六の昔
── 鞍馬くらま を出て流浪るろう
の果て ── みちのくの秀衡ひでひら
を頼って奥州へ下くだ る途中、信夫郡しのぶごおり
の佐藤荘司の後家ごけ 尼あま
の家に、雪の一夜を過ごした時からの縁であった。 その後。 兄頼朝が、旗あげと聞いて、みちのくから関東へ馳は
せつけるさい、兄弟して、朗従に加わり、それ以来一日とて、義経の側を離れたことはない。 富士川、鵯越えにも、ともに生死の間を駆け、やがて世も静まった後には、故郷ふるさと
にある老母を都へ招いて 「・・・・いつか、信夫しのぶ
ノ里さと に泊った雪の一夜、そのおりの、むかし語りなどしようものを」
と、よく言い合っていたものだった。 兄弟の母、荘司の後家は、男まさりな尼である。とはいえ 「継信、死せり」 と知ったなら、どんなに悲嘆することだろう。また、残された忠信の、これからの孤影も今から眼に見える思いがする。 「思し召し、かたじけのう存じまする」 やがて
── 諸将は、みな自分の事のように、義経のあたたかな気持へ、ぬかずいた。 そして、悄然しょうぜん
たる忠信の姿と、冷たい遺骸いがい
を囲んで、静々しずしず と、陣後の方へ歩み去った。 「・・・・・・」 義経はなお佇たたず
んだままでいた。じっと、見送っていたが、ようやくわれに返った容子ようす
で、 「麻鳥」 と、後ろの池上を見、 「よう参ったな、ここへ寄れ、もそっと近う」 と、磯松の根へ、腰をおろして、親しげにさしまねいた。
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