ほとんど、同時に、義経も、 「ひとまず退
け。── 陣をさげよ」 と、命じていた。 あとの汀なぎさ
には、無数の矢柄やがら や、折れた旗竿、武器、馬の屍かばね
などが、惨さん として、見えるだけだった。 武者の屍は、思いのほか少ない。 平家は、平家方の犠牲者を、海上へ退くときに、船へ収容して行ったからである。 ──
が、なお、心ならずも、幾十かの血まみれは、収容しきれずに、おき残されていた。 それらの中には、満身の血の重さからよみがえって、びくと、体を動かし、爪を立てて、一尺でもはおうとしている影もあった。 義経は、
「── 退ひ け」 の令を下すとすぐ、馬をとび降りて、 「継信、継信」 と、彼の名を呼びつづけた。 そして、弟の忠信の姿が見えた方へ、駆け出していた。 忠信は、兄の肩に刺さっていた敵の矢をヘシ折ってかたわらへ抜き捨て、もう、眼のふちに死の色を兆きざ
している兄の体へ、とりすがっていた。── 義経がうしろへ来たのも気づかずに、なお、 「・・・・兄者人あんじゃびと
、しっかりしてください。兄者人」 と、呼びながら、手をまわして、抱きついていた。 「・・・・・・」 義経は、肱ひじ
を曲げて、両眼を抑おさ えた。 「・・・・忠信」 「あっ。・・・・わが殿」 「かぶとの緒お
を解いてやれ、かぶとが、重かろう」 「は、はい」 「わしが抱いてやる。・・・・そっと、その手を抜いて、義経の手に抱えさせよ」 「あ、ありがとう存じまする。苦しそうな唇くち
、水を求めているのでしょうか」 「水をやってはいけない。・・・・待て」 義経は、地へすわって、深々と、自分のふところへ、継信を抱いた。 そして、焦点を持たないその眸へ、 「義経ぞ、わかるか・・・・」 と、自分の顔を近づけた。 「・・・・・・・」 継信は、にこと、うなずいた。 死に顔でもなし、生き顔とも思えない。幽明ゆうめい
の境から、一所懸命に、答えて見せた微笑であった。 そも微笑が、あまりにも静かで、また、日ごろの性格通り、彼の自負する武夫もののふ
らしさをいっぱいに湛たた えていたので、義経は、なおさら、涙をとどめ得なかった。 「傷いた
ましや、継信。・・・・いかが覚ゆるぞ」 「と、・・・・殿」 「おお」 「いまは、これまでにこそ候え。・・・・現うつ
し世よ の御縁も」 「ああ、この世の縁の、なんと短かりしことよ。何かいいおくことはないか、継信」 「弓矢取る身、敵の矢に死ぬるは、一定いちじょう
、覚悟の前でこそ候え。・・・・もし、戦いしずまって後、ふるさとの信夫しのぶ
ノ里さと (福島県、福島市外)
へ、お便りのおりもあらば、そこの老母へ、奥州の佐藤継信となんいいける者は、讃岐国屋島ノ磯にて、おあるじの身に代って、敵の矢に射られたりと、お伝えおき給わりませ。・・・・よくいたしたりと、母も満足してくれましょう」 言い終ると、もうさっと、唇くちびる
の色が変わっていた。 ところへ、後ろの方で、 「わが殿、わが殿」 と、伊豆有綱が、何かあわただしげに、そこへ来て告げた。 |