「や、や。継信
ぞ」 悲痛な声で ── 「誰た
ぞ、継信を、抱き取ってやれ」 言ったのは、義経だった。 射落とされた佐藤継信は、義経のすぐそばにいたのである。 しかも、教盛の矢が、的まと
の義経へ飛んで来た刹那に、継信は、われから身をもって義経の前に立ち、あるじの楯たて
となって、死んだのだった。 たれよりも、その一せつなを、目に見たのは、義経であった。── 当然 「もし、継信なかりせば」 と、命拾いの一瞬をも、義経は併あわ
せて、ぞっと、毛孔けあな で知ったに違いない。 「ざ、ざんねんっ」 と、かなたの教盛が叫んだのと同時に、源氏の群れの中では、 「・・・・わっ、兄者人あんじゃびと
っ」 と、泣くように喚わめ
いた者があった。 継信の弟、佐藤忠信に相違ない。 見ると。── 間髪をいれず。 矢に当たった継信の体へ向かって、教盛の朗従 ── 童わらべ
武者の菊王丸が、猟犬かりいぬ
のような素迅すばや さで、飛びかかっていた。あるじの教経に代って、すぐ、佐藤三郎兵衛継信の首を、かっ切ろうとするものらしい。 「うぬっ」 忠信は、兄の首を、奪と
らせまじと、眦まなじり ふかく、矢を引きしぼって、びゅっと放った。 菊王丸は、継信のかぶと首へ、手をかけたまま、 「──
ぎゃつ」 と、ひと声発して、地へころがった。 それを見ると、菊王の主人教経は、 「あな、不愍ふびん
」 と、とっさに、馬を駆け寄せ、右手をのばして、菊王丸の体を、鞍くら
わきへ拾いあげた。 その不敵な行為を見て、 「得たり」 「怨敵おんてき
」 と、忠信も、ほかの武者も、いちどに弦つる
を切って、教経へ射あびせたが、教経は、一転、馬を翻かえ
すかと思うと、浜の方へ一気に駆け戻り、汀なぎさ
の小舟のうちに、菊王丸の体を、馬の上からほうり投げた。 そして、すぐまた、 「もいちど、引っ返して」 と、ひとみの中の義経へ向かって、二度の決戦を思うらしかったが、そのとき、八栗やぐり
のすそや、屋島の下の山蔭で、とうとうと、味方の退ひ
き太鼓が鳴っていた。 ── ころを計って、手ぎわよく、沖へ退ひ
かん。機と見たら、合図をせよ、とは彼自身が、出撃の前に、命じておいたことではないか。 「・・・・そうだ」 と、急に面おもて
を醒さ まして、教経は、 「──
伊予引き揚げの味方が、着きさえすれば、東国勢はふくろの鼠ねずみ
よ。── 二日の間は、ただ敵がその事に気づかぬよう、攻めては退の
き、退いては挑いど み、ここの浦に、引き寄せておけばよいのであった。何を、焦心あせ
って、義経の首一つに」 自分の短慮を嘲わら
いながら、彼は馬上からにわかに、牟礼むれ
一帯の味方へ、退却を、ふれ出した。 もともと、それを予期しての上陸だった。なんらの混乱も起こらない。退の
き足は、あざやかだった。全軍、またたくまに船へ移り、捨て矢を陸へ放ちながら、潮の中に、櫓声ろごえ
を合わせて、沖なる陣へ、引き揚げて行った。 |