「能登
どのだ」 「能登どのぞっ」 彼の勇姿は、どこを駆けても、すぐ分かった。 かつての坂東ばんどう
武者は、よろい具足も小袖こそで
も、じつに質素で、ひと目でそれと分かったものだが、近年の東国勢は、みな華やかになっている。いずれが平家、いずれが源氏とも、見分けがつかない。 そうした乱軍の中で、教経のりつね
の姿一つが敵味方の目をひいたのは、彼が唐風からふう
な鎧よろい や、唐巻染からまきぞめ
(しぼり染) の小袖を着、太刀や馬具のことに見事だったせいばかりではない。 彼が行く所、まるで無人の境に見えた。鉄騎の壁も、蹴散けち
らされ、その矢前やまえ に立ち得る敵もなかった。 すでに、彼の駆けた後には、十騎以上の敵が、射捨てられている。しかし彼の目ざす者は、義経以外のたれでもないのだ。 「やあ、そこ退の
け、そこ退け、雑人輩ぞうにんばら
に用はない」 教経は。残り少ない箙えびら
の矢を射惜しむかのように、 「これは、門脇中納言の一子、能登守ぞ。はるか来つる九郎どのの勇を愛め
でて、一騎と一騎、人交ひとま
ぜもせず、会わんとは思うなれ。九郎どのへ見参せん。九郎判官は、いずこにあるや」 と、ほかの敵へは、眼もくれなかった。 義経は、さっきから、上陸して来る平軍を、序戦に悩ませて、汀なぎさ
から半町ほど後ろの、一叢いっそう
の松の木蔭に馬を休ませていたが、 「おお、あの平家武者は」 と、こなたへ向かって来る若獅子わかじし
のような姿へ、きっと眼をつけて ── 「さすが、健気けなげ
さよ。あれなん、聞こゆる能登どのか、望みにまかせて、一戦ひといくさ
交えてくれよう。そこ開け、味方の殿輩とのばら
」 と、にわかに馬を遣や
ろうとした。 附近には、江田源三、熊井太郎、伊豆有綱、武蔵坊弁慶、佐藤継信、忠信などが、一面に馬囲いを立て並べていたが、 「や。お待ち候え」 と、弁慶がまず、義経の前を、立ちふさいで、 「お旗の下に、人もないではおざらぬ。阿修羅あしゅら
となった捨身の敵に、君御自身、おん身をさらすなど、大将軍の振舞とも覚えません」 と、押しとどめた。 義経は、いつになく、 「いや、敵も水軍の大将ぞ。むかし、待賢門たいけんもん
の戦いには、悪源太義平どのと、平家の嫡男小松殿 (重盛) とが、一騎と一騎の勝負をなした例ため
しもある。── 能登どのだに、討ってとらば、平家は、力を失うて、潰つい
え去らん。無用な長戦ながいくさ
に、多くの死者傷負てお いを出すよりは、どれほどましか。そこ退の
け弁慶」 と、叱咤しった
した。 けれど、ほかの諸将もみな、どっと義経の前に、厚い鉄陣を作りあって、動こうともしなかった。 そのまに教経は、もう、ついそこまで、迫っていた。人も馬もすでに血に酔っている勢いだった。 「九郎どのは、どこ、出合い候え」 と、求める声もシャ嗄が
れて、何か、人間の叫びとも思えないものがある。 「やっ、推参すいさん
」 「駆け寄らすな」 源氏の数騎が、矢前やまえ
に出た。 ひとりは、しの鏃下やじりさ
がりを潜くぐ って、 「組まん」 と、教経へ、ぶつかって行ったが、教経は、身ひねって、敵の顔の真ん中へ、びゅんと、一矢いっし
を与え、 「可惜あたら
、犬死にすな」 と、もう次の鏃やじり
を、次の敵へ、向けていた。 つづけさまに二、三度、弦ゆづる
が鳴ったと思うと、彼の矢先には、彼の方へ顔を向けてくる敵もなかった。そして、どっと左右へ退の
き開いた馬群のかなたに、義経の姿が、ちかっと見えた。 「おお」 と、教経は、なお、駆けつめて、 「── あわれ、平家の氏神うじがみ
、厳島いつくしまみ 大明神だいみょうじん
、この一矢に、敵将九郎判官を射とめさせ給え」 と、念じるほか、何ものもない眸め
だった。 びゅんーっ と、弦音つるおと
がした。 「── あっ」 と、矢面やおもて
の諸将も、思わず揺れた。 ある者は、身を伏せ、ある者は、馬を外そ
らした。烈しい唸うな りをもって、その上を掠かす
めて行った矢は、一将の左肩部さけんぶ
を、射抜いた。どうっと、その者の体は、馬の背からまろび落ちた。 |