さっきから、波上
の一艘に、なお、双そう の眼まなこ
をとぎすましながら、船屋形を楯たて
に、陸くが を見ていた平家方の一将がある。 能登守教経だった。 ──
落ち着いている。 かぶとの眉廂まびさし
の翳かげ となっているその白皙はくせき
の面おもて と、りりしい唇くち
もとは、何かを、捜し求めているふうだが、しかし、おりおり矢うなりの中にさえ、さっきから、身じろぎもしていない。 いかにも、心のうちに、勝算がありげな容子ようす
である。 もう二日後には、三千の味方が、伊予路から引き返して来よう。かれら源氏の背後に、突如、その紅旗が見えたときこそ、ここにある限りの東国武者が、降伏か、殲滅せんめつ
かの、さいごを必然とする日なのだ。 ── あわてることはない。 教経の眸は、それを反覆しているように、静かであった。 だから今は、われから仕懸けた戦いくさ
でも、じつは源氏をこの浦にひきつけておくための嬲なぶ
り合戦に過ぎないのだと、彼は充分、知っている。── そう自分にも言いきかせている。 にもかかわらず、彼の面には、ときどき、足もとの波映はえい
ともつかず、何か、むらっと、かげろうの如き殺気がしきりに動いていた。。 陸くが
の乱軍のなかに、たとえば、密林を翔か
けるきれいな鳥の羽色のように、源九郎義経らしき華やかな影が、彼の眼に、ちらちら見えていたからだった。 ── それもある。 たしかに、それも彼の血をたぎらせたにはちがいないが、もっと大きな理由は、目前に、自分の部下が、屍かばね
を積んでいることだ。 一つの策ぞ、と心得ていても、やはり戦は、犠牲なしには出来ない。一個の流す血の色にも、千人を盲目にし、万人を怒らす何かがある。まして、岸へ上がった平家勢は、みるみるうちに、東国武者の鉄騎の下に蹴けち
散らされていた。 ことに、義経とおぼしき人の前に駆け向かった味方は、その太刀に薙な
ぎられたり、斬き り下げられて、たたかれた花のように、紅くれない
の露命を辺りに散らしていた。 「── 菊王っ」 もう、たまらなくなったものに相違ない。教経の荒い語気と一しょに、彼の頭こうべ
が、燦さん として、うしろを向き、 「その馬立ち船、いやその纜綱もやいずな
を、ぐっとこっちへひいて来いっ。そして、駒の口を取れ」 と、命じた。 日ごろ、彼がそばから離さず可愛がっていた童武者わらべむしゃ
の菊王丸は、すぐ、主人の突っ立ている船屋形のわきへ、馬立ち船を引き寄せた。 舷ふなべり
から、駒の背へ、ひらと、跳と
び乗るやいな、教経は、ザザザと、修羅しゅら
の汀なぎさ へ駆け上がって行き、 「やあ、そこ退の
き候へ。矢面やおもて の雑人ぞうにん
ばら」 と、鉄の弓手ゆんで
を突き出した。 そして、あたりの東国武者を目がけ、びゅんびゅんと、射ながら駆け回った。 騎馬は、東国武者が無敵と誇るところのものだが、平家の公達にも、馬下手うまべた
ばかりがいたのでがない。 教経のりつね
は、水軍の術に長た けていたばかりでなく、陸戦の雄でもあった。わけて、騎射の上手で、近矢ちかや
を得意とし、太刀や長柄でとどく近さまで敵に馬をぶつけて行って、いきなり、その顔や胸板に、一矢をくれ、同時に、まるで蝶ちょう
か鳥のように、鮮やかに馬を翻かえ
すのであった。 |