〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/13 (木) そ こ 退そうら え (四)

敵味方の陣頭から、おのおの一人ずつ、気負きお いの者が出て、威猛高いたけだか戦名乗いくさなの りをあげるのは、まず、われの宣言と、士気の昂揚こうよう をかねたもので、合戦に先立ってよく見られる当時の戦闘形式といっていい。
「しゃつ。すでに、けさの一戦にて、金子が弟、親則ちかのり の矢を食らって、総門を逃げ落ちし亡者もうじゃ めが、わが殿に対して、舌長な広言を ──」
すぐ源氏の中から、こう、わめき返した者がある。たくましい黒革くろかわ ぞっき・・・甲冑かっちゅう を馬上に見せつつなぎさ へ駆け出して来たその一騎は、
「いうもおろかなれど、わが大夫判官たいふのほうがん どのは、源家の嫡弟ちゃくてい 、なんじら如き者と、矢交やま ぜ刃交ぜを争う君には非ず。かくいう伊勢三郎義盛が、あしろうてくれよう。たて の蔭にて、臆病腰おくびょうごし雑言ぞうげん やめよ。物申すなら、これへ出て申せ、次郎兵衛とやら」
と、あざ笑った。
越中次郎兵衛は、早くも、馬立ち船へ跳び移って、その中の一頭の背へ身をおき、
「おうっ、そう申す男は、以前、伊勢の鈴鹿山すずかやま にて、山賊など働き、後には、江ノ浦の辺りに、漁師すなどり などしつつ、細々ほそぼそ と、妻子をはぐく みいたるあぶれ者の後身よな。さすが、流浪るろう の殿とは、似合いの主従。首さし伸べて待つがよい」
「やあ、人は知らじと思うてか、北国の倶梨伽羅くりから に討ち負けて、乞食こじき しつつ、からき命を拾って都へ逃げ帰りし醜武者しこむしゃ が、人なみなる申し方よ。二度と、広言の成らぬように、伊勢三郎が、その息のねをとめてやる。いで参れ、しこ の四郎兵衛」
「なにを」
盛嗣もりつぐ の姿は、馬もろとも、真っ白なしぶきに包まれた。馬立ち船の上から浅瀬を駆け渡り、おめきかかって来たのであった。
ここの浦曲うらわ の水際は、いちめんといってよいほど、白波、しぶき、人馬の喊声かんせい が、ほとんど、時もおなじに、わき上がっていた。
すでに、あけ をなして、かばね を波に洗われている者、絶叫のもとに、一矢いっし を喉ぶえに突き立てられて、のけ る馬、馬上と馬上との白刃の閃々せんせん 、組んずほぐれつの地上の格闘、それを、一幅の絵巻と見るには、余りに凄愴せいそう であり、これを人間所業の一齣ひとこま と観るには、余りにも悲しい約束ごとであった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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