たちまち、源氏方も、扇なりに、人数をひらき、右翼の一軍は、八栗の海沿い道に備え、左翼は、屋島の干潟を前に、総門の焼け跡の、敵を待った。 敵の主力と見える数十艘は、すさまじい櫓声
の中に、波しぶきを見せながら、ぐんぐん汀なぎさ
へさして近づいていた。 おそらく、船上にある平家の将も、ここにある一団の鉄騎と白旗のうちに、九郎義経のいることを、はやくも眸にしていたに違いない。 すでに、牟礼の浜は、烈しい弦鳴つるな
りと矢風を起こしてい、同時に船上の方からも、矢ぶすまを作ってそれに報むく
いて来た。しかし、近づく平軍の船脚ふなあし
は、いささかな怯ひる みも見せず
『── 一ノ谷以来の宿敵、判官義経、そこ動くなかれ」 と言っているような烈しい形相ぎょうそう
と戦意が、真っ黒にむらがり寄って来る船中の一つ一つの姿にもうかがわれた。 わけても。 越中次郎兵衛盛嗣もりつぐ
は、さきに総門を攻めつぶされ、その雪辱に燃えていた。 味方のたれの船よりも、真っ先に出、ざっと、浦の一角へ、その舳へさき
をぶつけるやいな、楯囲たてがこ
いから、ぬっと起ち上がって、 「今暁、いちどは、不覚な負ひ
けを取ったれど、正しき勝敗を決っせんため、越中次郎兵衛えっちゅうのじろうびょうえ
盛嗣もりつぐ 、ふたたび、これへ参ったり。──
むかし、鞍馬くらま の稚子ちご
して、金売商人かねあきゆうど
の所従しょじゅう となり、みちのくに落ち下くだ
りし小冠者、今は判官とやらになって、おこがましくも、討手の大将軍を称とな
えてこれへ来つる由。その九郎の小冠者にこそ見参せん。九郎義経はいずこにあるや。平家の矢前やまえ
を恐れて、身を潜ひそ めおるか。恥を知らば、これへ出て、雌雄しゆう
を決せよ」 と大音声だいおんじょう
で言った。 |