ちょうど、干潮時の底もすぎて、やや上げ潮を呈して来たころである。 まだ、牟礼
の岸は、かなり遠くまで干あがってい、屋島との間も、干潟ひがた
の地肌を見せていた。 義経は、磯松の木蔭を駆け出して、 「近づく敵に、汀なぎさ
を踏ますな。陸くが にも取りつかぬ間に、射てたおせ」 と、麾下きか
へ呼ばわった。 彼につづいて、波打ち際へどっと駒首をそろえた武者たちは、矢つがえ忙しく、 「ござんなれ」 と、漕こ
ぎ寄る群れに、矢ごろを測はか
って、待ちかまえた。 すると、まだ距離として、到底、矢も及ばない所で、平家方の船群は、突然、二手にも三手にも分裂し、西へ分かれた一組は、屋島の岸へ上がり、東へ離れた兵船の幾艘は、八栗半島の岸
── 五剣山の下あたり ── 続々と兵をあげ始めた。 「や、三方からこれへ攻めかかる備えとみゆるぞ」 源氏の軍勢とその白旗は、ひとつ所にかたまって、吹き戦そよ
がるる穂のように、おめきあった。 「ここは危うい。三方からつつまれては」 田代冠者たしろのかじゃ
信綱のぶつな の口走りらしい。 それにつられて、一角の厚い人数が、早くも、外の足場を求めるように、なだれかけた。 その駒足へ、するどく、 「みだりに、陣じん
を紊みだ すはたれだっ」 義経の叱咤しった
が飛んだ。 「敵は前に見ながらも、われには船を持たぬ惜しさがある。と同様に、敵はいと乏とぼ
しき馬数うまかず しか持っておらぬ。さるを、かれより陸くが
へ向かって戦いを挑んで来たのは、何よりの倖せだ。── 見よ、三面の敵とても、屋島、八栗やぐり
へ上陸あが った敵は、すべて馬を持たぬ徒士かち
のみではないか」 「おお、いかにも、かなたへ上がった兵は、みな脚立あしだ
ちの武者ばかり」 「田代殿は、五十騎にて、八栗の口の防ぎに立ち候え。いかに敵より挑いど
み誘われても、騎馬駆けならぬ小道にまでは、ゆめ踏み入り召さるなよ。── また、屋島の干潟ひがた
は、後藤実基、淀よど ノ忠俊ただとし
、金子十郎たち五十騎ほどにて駆け向かえ。そのほかは、ここの汀なぎさ
を、動くまいぞ。義経も、敵の真向まむ
きにいて、近寄る平家の健気者けなげもの
に、一と合戦してとらせんものを」 彼の声は、その小柄こがら
な体に似ず、よく徹とお った。 また、軍勢のうちの多くは、兄頼朝の御家人であり、軍目付いくさめつけ
たるひとすらあるので、凛りん
たる命令語にしても、ことばはきれいで、こんなさいにも、麾下きか
の感情というものを忘れていない。 |