〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/12 (水) そ こ 退そうら え (一)

海上の平軍は、ひそかに勝算を持った。部将から士卒のはし までが、
「勝ちは、お味方の上にある」 と、かたく思い、
「今に見よ、源氏のやつばら、目にもの見ようぞ」
「あの誇らしげな白旗や白いのぼり も、あわれ、二日の命でしかあるまいに」
と、沖からそれをながめていた。
おそろしいものである。そうした意気は、兵軍の船の一つ一つにもすぐあらわれた。
やがて、中天ちゅうてん のころには、大小の船列二百余艘が、整然と海上陣を き、紅の旗は翻々ほんぽん としてへき 瑠璃るり を染め、その盛んな士気は、幾条いくすじ ものにじ を沖へかけたようであった。
── さっきから牟礼むれ の岸にこま を立てて、平家の水軍の動きを見ていた義経は、
「・・・・はて?」
と、ひとりつぶやいたことだった。
「さしも一時は、あわてふためいて、乱れに乱れて見えた船影であったが、平家の内にも、さすが、よい大将もおるらしい」
彼のすこし後ろには、武蔵坊弁慶、伊勢三郎義盛、那須与一、同じく大八郎、伊豆有綱、畠山重忠、佐藤さとう 継信つぐのぶ 、忠信の兄弟などの面々。
また、近くの磯松原の間には、
田代冠者、金子十郎、後藤実基、その子基清、そのほかの東国武者が、くつわ をならべ、ともに、沖の方を凝視ぎょうし していた。
義経は、振り向いて、
「のう、あれ見たか、殿輩とのばら 。── 敵ながら、またたくまの船ぞろい、見事な陣の立てよう。よく見ておくがよい」
と、言った。
そして、降参の将、近藤六に顔へ、
「平家の水軍を指揮しておる者はたれなるか」
と、たずねた。
近藤六は、徒歩かち だった。馬のしり の蔭から、
「能登どのにござりまする。門脇殿の御次男、能登守教経どので」
「では、鵯越えの合戦のおり、明泉寺の陣所より、われらの軍に駆け落とされ、あえなく討死された三位さんみ 通盛卿みちもりきょう の舎弟よな」
義経は、もいちど沖へ、ひとみ をこらした。
鵯越えや一ノ谷で討たれた平家の子や兄弟やその親どもが、あだ たる自分へやじり ぎすましている血相が、海のかなたに見えるような気がした。
吹き渡って来る潮風に、彼は、ぞくと身ぶるいを覚えた。同時に、われともなく、
「やあ、油断すな人びと、敵の兵船に、戦意がみゆるぞ」
と、きびしい声で叫んでいた。
果たして、中型の兵船が、幾十艘となく、沖の陣を離れて、こなたへ ぎ進んで来る。
その中に、馬立ち船も交じっているところを見れば、かれも騎馬隊を上陸させ、一戦の決意を持って来たものに違いない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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