海上の平軍は、ひそかに勝算を持った。部将から士卒の端
までが、 「勝ちは、お味方の上にある」 と、かたく思い、 「今に見よ、源氏のやつばら、目にもの見ようぞ」 「あの誇らしげな白旗や白い幟のぼり
も、あわれ、二日の命でしかあるまいに」 と、沖からそれをながめていた。 おそろしいものである。そうした意気は、兵軍の船の一つ一つにもすぐあらわれた。 やがて、陽ひ
も中天ちゅうてん のころには、大小の船列二百余艘が、整然と海上陣を布し
き、紅の旗は翻々ほんぽん として碧へき
瑠璃るり を染め、その盛んな士気は、幾条いくすじ
もの虹にじ を沖へかけたようであった。 ──
さっきから牟礼むれ の岸に駒こま
を立てて、平家の水軍の動きを見ていた義経は、 「・・・・はて?」 と、ひとりつぶやいたことだった。 「さしも一時は、あわてふためいて、乱れに乱れて見えた船影であったが、平家の内にも、さすが、よい大将もおるらしい」 彼のすこし後ろには、武蔵坊弁慶、伊勢三郎義盛、那須与一、同じく大八郎、伊豆有綱、畠山重忠、佐藤さとう
継信つぐのぶ 、忠信の兄弟などの面々。 また、近くの磯松原の間には、 田代冠者、金子十郎、後藤実基、その子基清、そのほかの東国武者が、轡くつわ
をならべ、ともに、沖の方を凝視ぎょうし
していた。 義経は、振り向いて、 「のう、あれ見たか、殿輩とのばら
。── 敵ながら、またたくまの船ぞろい、見事な陣の立てよう。よく見ておくがよい」 と、言った。 そして、降参の将、近藤六に顔へ、 「平家の水軍を指揮しておる者はたれなるか」 と、たずねた。 近藤六は、徒歩かち
だった。馬の尻しり の蔭から、 「能登どのにござりまする。門脇殿の御次男、能登守教経どので」 「では、鵯越えの合戦のおり、明泉寺の陣所より、われらの軍に駆け落とされ、あえなく討死された三位さんみ
通盛卿みちもりきょう の舎弟よな」 義経は、もいちど沖へ、眸ひとみ
をこらした。 鵯越えや一ノ谷で討たれた平家の子や兄弟やその親どもが、仇あだ
たる自分へ鏃やじり を研と
ぎすましている血相が、海のかなたに見えるような気がした。 吹き渡って来る潮風に、彼は、ぞくと身ぶるいを覚えた。同時に、われともなく、 「やあ、油断すな人びと、敵の兵船に、戦意がみゆるぞ」 と、きびしい声で叫んでいた。 果たして、中型の兵船が、幾十艘となく、沖の陣を離れて、こなたへ漕こ
ぎ進んで来る。 その中に、馬立ち船も交じっているところを見れば、かれも騎馬隊を上陸させ、一戦の決意を持って来たものに違いない。 |