ところへ、やや遅ればせに、能登守
教経のりつね が、童武者わらべむしゃ
の菊王丸に小舟を漕こ がせて、ここへ来た。 人びとは、頽勢たいせい
の挽回ばんかい を、宗盛の指揮に待つよりは、むしろ教経のりつね
の方に期待していた。彼の姿を見ると、みな、座を分け合って、 「敵は、思いのほか小勢の由、能登どのには、さだめし、勝算もあることならん。ご忌憚きたん
なく、お考えを聞かせてほしい」 と、すぐ意見を求めた。 教経は、水軍の総帥そうすい
だが、いならぶ人びとは、みな父だの叔父だの祖母だのと目上ばかりである。で、つつましやかに、こう答えた。 「屋島を離れたことは、今さら、論じても、是非ないことでしょう。たとえ屋島にあって戦っても、先にも申した通り、お味方には馬も少なく、地勢も不利。むしろ、海上へ出た方がよかったかも知れません。このうえは、敵を牟礼むれ
の浜辺に引きつけておくことだけが肝要です。ここ数日の間さえ、持ちこたえておれば、お味方の必勝は、火を見るよりも明らかなこと。御心配ありませぬ」 それは若い教経の単なる強がりとは聞こえない。思慮もあって成算らしい自信のほどが、静かに眉に見てとれた。 「よう申した」 と、宗盛は、わが意を得たように、 「──
しかし、能登どの、ここ数日だに支えておればと申すのは、いかなるわけぞ。なぜ、数日を、待たねばならぬか」 「されば」 教経は、将座へ向かって、もいちど、心もち頭ず
をさげながら、 「つい今し方のことなので、まだお耳に達しませんでしたが、たった今、丸亀より早舟が着き、かねて、伊予の河野攻めに向こうていたお味方の田口左衛門たぐちさえもん
教能のりよし が、はや、屋島へ引き揚げの途中にありとの報し
らせでござりました」 「ほう・・・・」 と宗徳は、その丸っこい肥満顔を、おそろしく長くして、すぐよろこびに、ほころんだ。 「では、なにか・・・・・田口左衛門の三千余騎が、はや、帰讃きさん
の途中にありと申すのか」 「伊予の河野通信こうのみちのぶ
は、高縄城を留守の手にあずけ、自身は船手に乗り込んで、海上へ去った由にござりまする。それゆえ、お味方の田口勢も、留守を攻めて何かせん、むしろ、河野の水軍が、万一にも方向を変えて、屋島へ責め来りなば
── と後ろを惧おそ れて、にわかに、引き揚げたものと思われます」 「・・・・ああ、天佑てんゆう
だの」 宗盛は、左右の座を見まわして、 「おりもおり、三千の兵馬を、伊予へ差し向け、九郎義経めに、手薄を突かれたかと思うていたが、天はまだ平家を見捨てておらん。聞かれたか、人びと」 初めて、大将軍らしい一門の総領振りも、やっと、彼の全姿に顔を出していた。 もちろん、歓びは、彼だけではない。 二位ノ尼をはじめ、満座の諸大将も、 「こは、思いがけない吉事」 「まこと、亡な
き平相国へいしょうこく の、御加護にやあらん」 と、口々に言って、 「いかにも、能登どのの仰せは道理ぞ。ここ幾日かは、陸くが
と海とに対陣のまま、ひたすら、九郎義経の手勢を、牟礼むれ
の浜辺に、引き付けておく策をとるがよい」 「いや、ただ対陣のままでいては、敵も怪しみ始めよう。我らの待つものを、判官義経ほうがんよしつね
に気取られては、はなはだまずい」 「さ。その辺は、どうするかの、能登どの」 などと、はや勝算歴々たりという見通しから、人びとの声まで明るくなった。 「されば、田口勢の三千余騎は、おそくも二日後には古高松ふるたかまつ
に現れましょう。── その間、機を計っては、海上より源氏へ懸かり、わざと退いては、たちまちにまた、攻め返すなど、いわゆる孔明こうめい
の七縦七擒しちしょうしちきん
の策て をもって、義経以下を、海際に釘付くぎづ
けおき、後ろを視み るいとまもなきまで、戦いに疲れさせまする」 教経の言に、 「なるほど」 と、みな感じあい、 「それやおもしろい。──
やがて、背後うしろ より、田口教能たぐちのりよし
らの新手がかからば、汀なぎさ
の源氏は、海陸より挟はさ み撃たれて、おそらく一兵だに遁のが
れ得まい」 「こんどこそは、判官義経も、みずから罠わな
に陥お ちたようなものぞ」 「能登どのよ。この時にこそ、義経を手捕りして、われらに大功を見せられい」 「まず、それまでの今日明日は、敵を嬲なぶ
り戦いくさ に疲らすをば、われらは海上にて見物せん」 などと、教経の勇と、田口勢の来援を恃たの
んで、ここの旗艦ではもう祝い酒でも酌く
みたいような、どよめきだった。 |