〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/11 (火) ふつ ち (二)

軍議、それは、行動する前にこそ、なされるもの。こう、大きな移動をしてしまった上では、今さらの感がなくもない。
それに、敵の真相というものを、宗盛以下、たれも、明確につかんでいる者はいなかった。敵を知らない軍議から、よい作戦の生まれ出ようはずもない。
「ちと、どうも、われらは、あわて過ぎたのではあるまいかの」
これは、経盛つねもり に次ぐ、一門の大叔父格、門脇殿かどわきどの (教盛のりもり ) の反省だった。
今となってみると、同様な悔いはたれにも多少あった。しかし、それを口にするのは、総領の宗盛の指揮をあげつらうことにもなるから、そう言える人は、門脇殿ぐらいなものであった。
平大納言時忠は、ここに見えず、経盛はいても、例によって、寡黙かもく な人だし、二位ノ尼も、軍議の席では、女性の控え目をを守ってか、余り発言はしない。
すると、片隅に、外戚がいせき の人で、平盛国という老将が、かが まっていた。
越中次郎兵衛盛嗣もりつぐ の祖父で、主馬判官しゅめのほうがん とも呼ばれている。
「敵の様子は、孫の盛嗣もりつぐ か、上総忠光かずさのただみつ におたずね給わりませ。── 今暁来こんぎょうらい 、総門にあって、敵と接した者は、その両名の手勢しかござりませぬで」
その盛国の言葉に、総領の内府宗盛。
「お、その二人も、これへ来ておるのか」
「参っておりまする」
「ならば、とう、招き入れい」
船屋形の外へ顔を出して、盛国が、二人の侍大将を、呼び入れた。
越中次郎兵衛と、上総忠光は、一門の見える末席に、両手をついた。
「そちたちは、朝方、総門を打ち捨てて、志度しど 方面へ、敵を追って行ったのじゃな」
宗盛に かれて、
「はっ。・・・・敵の奇計ともさと らず、おびただしい松明たいまつ を見て追いかけ、そのまに、総門を攻め破られ、なんとも、不覚を取りました。いかようにも、御処罰くださいませ」
「では、志度の方面に見えたのは、敵の大軍ではなかったのか」
「われをあざむ くための火計で、まことは、わずか三、四十騎の、それも雑人勢ぞうにんぜい にすぎません。── と気づいて、すぐ総門へ引っ返しましたものの、そこははや、敵の義経以下、あたりへ火を け、ひしめき合うてい、ぜひなく一たん八栗やぐり へ退き、また、後のお布令ふれ を伺って、われらも海上へ移ったわけでございました」
「して、総門へ懸かって来た義経の本軍は、およそ何千騎ほどか」
「いやいや、そんな大軍ではございませぬ。みな、ゆゆしげなる東国武者の精鋭ぞろいでありますが」
「そも、どれほどぞ」
「たかだか、二百騎ほどかと思われまする」
「な、なに、そんな小勢なのか、それが、義経の持つ総勢か」
「とは申せ、彼の麾下きか には、一ノ谷にても、お味方を悩ませた、名だたる一騎当千の者ばかりなので」
「はて、そちたちとて、平家の侍大将では、人にも知られた豪の者ではないか。いかに義経の旗下はたもと とて、鬼神がいるわけでもあるまいに・・・・たかが二百か三百騎の敵と知れば、何も、屋島を離れて、物々しく、海上に備え立てすることはなかったものを」
宗盛は自分の不明を口にして悔やんだ。そうした人の好さに、一門の諸将もつい、彼の罪を責める気にもなれなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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