軍議、それは、行動する前にこそ、なされるもの。こう、大きな移動をしてしまった上では、今さらの感がなくもない。 それに、敵の真相というものを、宗盛以下、たれも、明確につかんでいる者はいなかった。敵を知らない軍議から、よい作戦の生まれ出ようはずもない。 「ちと、どうも、われらは、あわて過ぎたのではあるまいかの」 これは、経盛
に次ぐ、一門の大叔父格、門脇殿かどわきどの
(教盛のりもり
) の反省だった。 今となってみると、同様な悔いはたれにも多少あった。しかし、それを口にするのは、総領の宗盛の指揮をあげつらうことにもなるから、そう言える人は、門脇殿ぐらいなものであった。 平大納言時忠は、ここに見えず、経盛はいても、例によって、寡黙かもく
な人だし、二位ノ尼も、軍議の席では、女性の控え目をを守ってか、余り発言はしない。 すると、片隅に、外戚がいせき
の人で、平盛国という老将が、屈かが
まっていた。 越中次郎兵衛盛嗣もりつぐ
の祖父で、主馬判官しゅめのほうがん
とも呼ばれている。 「敵の様子は、孫の盛嗣もりつぐ
か、上総忠光かずさのただみつ
におたずね給わりませ。── 今暁来こんぎょうらい
、総門にあって、敵と接した者は、その両名の手勢しかござりませぬで」 その盛国の言葉に、総領の内府宗盛。 「お、その二人も、これへ来ておるのか」 「参っておりまする」 「ならば、とう、招き入れい」 船屋形の外へ顔を出して、盛国が、二人の侍大将を、呼び入れた。
越中次郎兵衛と、上総忠光は、一門の見える末席に、両手をついた。 「そちたちは、朝方、総門を打ち捨てて、志度しど
方面へ、敵を追って行ったのじゃな」 宗盛に訊き
かれて、 「はっ。・・・・敵の奇計とも覚さと
らず、おびただしい松明たいまつ
を見て追いかけ、そのまに、総門を攻め破られ、なんとも、不覚を取りました。いかようにも、御処罰くださいませ」 「では、志度の方面に見えたのは、敵の大軍ではなかったのか」 「われを欺あざむ
くための火計で、まことは、わずか三、四十騎の、それも雑人勢ぞうにんぜい
にすぎません。── と気づいて、すぐ総門へ引っ返しましたものの、そこははや、敵の義経以下、あたりへ火を放か
け、ひしめき合うてい、ぜひなく一たん八栗やぐり
へ退き、また、後のお布令ふれ
を伺って、われらも海上へ移ったわけでございました」 「して、総門へ懸かって来た義経の本軍は、およそ何千騎ほどか」 「いやいや、そんな大軍ではございませぬ。みな、ゆゆしげなる東国武者の精鋭ぞろいでありますが」 「そも、どれほどぞ」 「たかだか、二百騎ほどかと思われまする」 「な、なに、そんな小勢なのか、それが、義経の持つ総勢か」 「とは申せ、彼の麾下きか
には、一ノ谷にても、お味方を悩ませた、名だたる一騎当千の者ばかりなので」 「はて、そちたちとて、平家の侍大将では、人にも知られた豪の者ではないか。いかに義経の旗下はたもと
とて、鬼神がいるわけでもあるまいに・・・・たかが二百か三百騎の敵と知れば、何も、屋島を離れて、物々しく、海上に備え立てすることはなかったものを」 宗盛は自分の不明を口にして悔やんだ。そうした人の好さに、一門の諸将もつい、彼の罪を責める気にもなれなかった。
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