〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/10 (月) ふつ ち (一)

ともあれ、一門の男女数千人が、屋島のねぐら を火に追われて、一時に沖へのがれ出たのである。つばさ を持つ水鳥の群にせよ を失ったことであろう。悲風の中の人びとが、あらゆる狼狽ろうばいいが み合いを演じていたのは無理もない。
だが、その朝の、平大納言へいだいなごん 時忠と能登守のとのかみ 教経のりつね との争いだけは、ややわけが違う。
事は、その場で起こったもつれでも、根は両者の日ごろにあったものである。その原因も、血気な教経と、ひそかに和を思う時忠とが、はしなくも、日ごろの主張を、対峙たいじ しおあい、あわや決定的な味方割れににまでなるかとも見えた危ういもつれであったのだ。
── が、幸いに、そこまでは、ゆかずにすんだ。一方の時忠は沈剛ちんごう 、悪く言えば太々ふてぶて しいほど単純でない。年も教経とは、親子ほど違う。
その彼が、折れて出たのは 「・・・・わが事成らず」 と、自分のもくろみに、すぐ見限みき りをつけたからであろう。教経も、主上や建礼門院の御難儀をよそに、血迷いたけ るほど愚将でもない。かたがた、時忠は一門の目上である。すべてを胸にのんで、反省の姿を、ひざまずかせてしまったのだった。
かくて、まず大事にもならず、主上や建礼門院以下の、あまたな女房たちまで、やがて、御座船の内へ迎えられた。そして、まるであくた の流れとも見える無数の船影の中に、それらの船もただよ い合った。
海上から屋島のくが を振り返ると、もうそこには平家の一兵も見えず、ただ、ほしいままな黒煙くろけむり だけが、方々から立ち昇っている ──
「いったい、時刻は今、何時なんどき ごろか」
何か、大地を離れたうら悲しさは必然にあったが、海上は一瞬いっとき の安心感を、人びとの胸によみがえらせた。
「・・・・そうだの。陽は、こく (午前十時) ごろに見えるが」
たれかが言うと、
「まだ、そんなものか」
そしてまた悵然ちょうぜん と、
「── なんとこの変り方は、わずか二刻ふたとき (四時間) のこととも思えぬ。まるで、幾年もの月日が、眼も前を過ぎたようだ」
と、どこかでつぶやく者があった。
そのつぶやきは、全平家の思いを言い現していた。つい夜明け前までは、たれが今日のこんな光景を、夢想していたろうか。
やがて、やっと、戦備もととのえ、持ち場も定め、遠くのくが に、敵の源氏をあらためて見直すと、たれもが急に、空腹感におそわれた。思えば今朝は ── 朝のかて さえ取る暇もなかったのである。
幼帝も女院も、その事だけは、おなじだった。とも に白木造りの内侍所ないしどころ を見せ、日月じつげつにしきばん (旗) を立てた巨大な唐船の上から、やがて細々ほそぼそ と、かし ぎの煙がのぼ っていた。
おそらく、典侍たちが、天皇の供御くご の物をお き申しているに違いない。
それが、合図かのように、将士全般へも、
「── 朝の食をとれ」
という命令が伝えられた。
一切の令は、宗盛の坐乗している旗艦から出た。それは九州の大宰府船だざいふせん で、やはり唐風造からふうづく りの楼船ろうせん であった。
そのほか、唐船は四、五隻もみえ、それぞれに一門の公達や侍大将が乗り込んでいた。しかし、兵たちが、しばし兵糧ひょうろう 休みにひそまっている間に、それらの諸将は、ことごとく小舟に乗り、宗盛の船へさして集まって来た。いうまでもなく、
「いかに、この恥をそそ ごうか。敵の源氏を撃ち返すか」
の軍議であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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