〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/08 (土)  たんみち (三)

平内左衛門が行ったとおり、道はまもなく、平地へ出た。屋島の頂なのである。
すぐ、西の方に、炎々たる紅蓮ぐれん が見え、伽藍がらん の屋根や木々までが燃えさか っている。
その屋島寺を、左に見ながら、時忠は、一こう東の浦へ降りる道を捜そうとはしなかった。
まお、北の方へ、山づたいに急ぎ、もう一つ峰頂みねいただき の平地、北嶺ほくれい とよぶところから右へ、にわかに、道を降り始めた。
道といっても、やぐらだけ へ通う物見の兵が、わずかにひら いた小道にすぎない。おん輿も、ほとんど逆さにかし ぎ、大きく揺られ、わけて女房たちは、さんざんな難儀であった。
けれど、静かな海の色が、すぐ下に見えている。さしたる長い道でもない。まもなく、おん輿は、がけ の深い木々の間から、海辺へ出た。
「・・・・や、ここは?」
人びとは海の「広さに、眼をみはった。
あたりには、味方の船影もない。ただ一望に播磨灘はりまなだあお が肺も染めるばかりだった。
そして、足もとをのぞけば、水面まで七、八尺、ある箇所は一丈以上もあるかと思われる岩石の断崖きりぎし がつづいている。
つまり、ここは屋島の突端に近く、八栗やぐり 半島との間に湾をなしている内海からは、もう外海をのぞいた出端ではず れといってよい。
「おお、あれなるが、主上の御座船ぞ。もすこし、北へ歩もう。かしこまで行けば、断崖きりぎし も絶え、船へ乗りやすいに相違ない」
時忠は、早足になった。
もう、すわってもしまいたいような女房たちの容子ようす であったが、休もうといわない。むしろ、ここへ来てからの時忠は、何かむご いような人に見えた。
かなたに、小さい人影が立っていた。一艘の大船を、水際につなぎ、しきりに、こっちをながめていたが、やがて、おん輿の影を見ると、
「おおうい・・・・。おううい」
と、手を振っていた。
父時忠の命を受けて、夜明けとともに、どこかへ姿を消していた讃岐中将時実らしい。
けれど、近づくやいな、侍従の少将有盛も、伊賀の平内左衛門も、
「大理どのには、なんとしたお手違いぞ。そこに見えるは、主上の御座船ではない。ただの軍船いくさぶね ではありませぬか」
と、不審を抱いて、みな、たじろいだ。
時忠は笑って、
「かかる場合に、なんで、船選びなどしておられよう。君の召し給う船こそ御座船と申すなれ。やよ、者ども、主上はお病気いたずき なれば、おん輿こし のまま、御船の内へ、にな いまいらせい。そのまま、そのまま」
と、せきたてた。
すると、ずっと外海の長崎鼻とよぶ方から、この附近を見まわって来たらしい味方の兵船が、七、八隻、左右のげん櫓連ろつら をそろえて、ザッザと、瑠璃るり の海を切って来た。
真っ先の船のやぐらには、能登守教経が突っ立っていた。彼の眼は、ここの輿やら女房たちの色どりを、もう見つけていたらしく、なんともいえぬ苦笑と怒りを含んだ双眸そうぼう を、潮風の中に ぎすましていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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