二位ノ尼をめぐる一群の女性たちは、山すそ近くにいたので、すぐ船着きまで、降りられたが、みかどや女院のいた経盛の陣所は、あいにく、屋島もずっと南寄りの山蔭であった。 そこでは、平大納言時忠と、建礼門院が、みかどの御悩
(病) のおん枕辺で、しばらく、何事か、話し合っていた。 人もない気配だった。── が、女院もついに、意をお決めになったものとみえ、 「・・・・よいように」 と、おん涙をぬぐうて、時忠のすすめにまかせた。 時忠夫婦は、 「よう、御得心遊ばしました。それでこそ、おん母のまことの御慈愛」 と、すぐ、そこを立ち退の
いていたのであった。 むりではあったが、女院と、みかどは、一つおん輿こし
の内に乗せ参らせた。輿こし には、輿ぎょれん
を垂れ、さらに帛はく をめぐらし、まったくお母子ふたり
の姿は、外部から見えないようにして、前後八人の武者をして舁かつ
がせた。 供奉ぐぶ には
── 小松侍従有盛、内蔵頭くらのかみ
信基のぶもと 、左中将清経。 侍大将の伊賀の平内左衛門へいないさえもん
家長いえなが が、一群の武者を引き連れて、後ろに続いた。 みじめばのは、局つぼね
たちである。 ── 大納言だいなごん
ノ佐局すけのつぼね 、臈ろう
ノ御方おんかた 、北きた
ノ政所まんどころ 、治部卿じぶきょう
ノ局つぼね 、帥そつ
ノ局つぼね などの、典侍から小女房までを数えれば、嫋嫋じょうじょう
たる姿の人ばかり、それは百人からの女性であった。 「急いそ
がいでもよい。余りに、喘あえ
ぐな」 先頭を行く平大納言は、後ろの足どりを見ては、ときどき言った。 「とにかく、火や煙は。事の実相以上、空怖ろしゅう見ゆるが、こう見渡すところ、敵勢はまだ、屋島の内へは入って来てはおらぬ。──
あちこち、山の諸所より火の手が立つゆえ、もし敵もやと、気も竦すく
むであろうが、決して案ずる事はない。怪我けが
せぬように、また、女性にょしょう
たちを、道に置き捨てぬように、おのおの、扶たす
けおうて、時忠につづかれよ」 しっかりした声音こわね
である。 自然、その声と彼の姿は、後から行く女性たちの眼に唯一の力とも先達せんだつ
とも見え、かよわい女性の多いわりに、ここの立ち退の
きは、物静かに行われていた。 ところが、二、三町ほど、山路をたどるうちに、侍大将の平内左衛門が、 「やあ。待て待て」 と、兵をとどめて、先頭の方をながめて、 「あいや、大理だいり
どの、大理どの」 と、時忠に呼びかけた。 「なんだ、家長」 「もしや、道が違いはいたしませぬか」 「なぜ」 「そう参っては、いよいよ登りになり、屋島寺のある頂上へ出てしまいまするが」 「それでよいのだ」 「はて、船へお移りあるには、山すそへ降くだ
らねばなりますまいに」 「よけいなことを申すな。ここは屋島も南側ぞ、浦へ降りるには、敵勢のいる牟礼むれ
の総門へ身を曝さら さねば通れまいが。──
さような危うい道をたどって、万一にも、おん輿こし
に敵矢でも浴びたらなんとするか」 「・・・・いかさま、それも、ごもっともな儀で」 「黙って、時忠のあとに従うて来い。── すでに、讃岐中将さぬきのちゅうじょう
が、先へまわって、どこかの浦に、主上の御座船をつないでお待ち申しておるはず。疑うな、人びと」 そういって、彼は、迷いもない足どりで、なお先に立って行った。
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