〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/07 (金)  たんみち (二)

二位ノ尼をめぐる一群の女性たちは、山すそ近くにいたので、すぐ船着きまで、降りられたが、みかどや女院のいた経盛の陣所は、あいにく、屋島もずっと南寄りの山蔭であった。
そこでは、平大納言時忠と、建礼門院が、みかどの御悩ごのう (病) のおん枕辺で、しばらく、何事か、話し合っていた。
人もない気配だった。── が、女院もついに、意をお決めになったものとみえ、
「・・・・よいように」
と、おん涙をぬぐうて、時忠のすすめにまかせた。
時忠夫婦は、
「よう、御得心遊ばしました。それでこそ、おん母のまことの御慈愛」
と、すぐ、そこを立ち退 いていたのであった。
むりではあったが、女院と、みかどは、一つおん輿こし の内に乗せ参らせた。輿こし には、輿ぎょれん を垂れ、さらにはく をめぐらし、まったくお母子ふたり の姿は、外部から見えないようにして、前後八人の武者をしてかつ がせた。
供奉ぐぶ には ──
小松侍従有盛、内蔵頭くらのかみ 信基のぶもと 、左中将清経。
侍大将の伊賀の平内左衛門へいないさえもん 家長いえなが が、一群の武者を引き連れて、後ろに続いた。
みじめばのは、つぼね たちである。
── 大納言だいなごん佐局すけのつぼねろう御方おんかたきた政所まんどころ治部卿じぶきょうつぼねそつつぼね などの、典侍から小女房までを数えれば、嫋嫋じょうじょう たる姿の人ばかり、それは百人からの女性であった。
いそ がいでもよい。余りに、あえ ぐな」
先頭を行く平大納言は、後ろの足どりを見ては、ときどき言った。
「とにかく、火や煙は。事の実相以上、空怖ろしゅう見ゆるが、こう見渡すところ、敵勢はまだ、屋島の内へは入って来てはおらぬ。── あちこち、山の諸所より火の手が立つゆえ、もし敵もやと、気もすく むであろうが、決して案ずる事はない。怪我けが せぬように、また、女性にょしょう たちを、道に置き捨てぬように、おのおの、たす けおうて、時忠につづかれよ」
しっかりした声音こわね である。
自然、その声と彼の姿は、後から行く女性たちの眼に唯一の力とも先達せんだつ とも見え、かよわい女性の多いわりに、ここの立ち退 きは、物静かに行われていた。
ところが、二、三町ほど、山路をたどるうちに、侍大将の平内左衛門が、
「やあ。待て待て」
と、兵をとどめて、先頭の方をながめて、
「あいや、大理だいり どの、大理どの」
と、時忠に呼びかけた。
「なんだ、家長」
「もしや、道が違いはいたしませぬか」
「なぜ」
「そう参っては、いよいよ登りになり、屋島寺のある頂上へ出てしまいまするが」
「それでよいのだ」
「はて、船へお移りあるには、山すそへくだ らねばなりますまいに」
「よけいなことを申すな。ここは屋島も南側ぞ、浦へ降りるには、敵勢のいる牟礼むれ の総門へ身をさら さねば通れまいが。── さような危うい道をたどって、万一にも、おん輿こし に敵矢でも浴びたらなんとするか」
「・・・・いかさま、それも、ごもっともな儀で」
「黙って、時忠のあとに従うて来い。── すでに、讃岐中将さぬきのちゅうじょう が、先へまわって、どこかの浦に、主上の御座船をつないでお待ち申しておるはず。疑うな、人びと」
そういって、彼は、迷いもない足どりで、なお先に立って行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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