一挙に、総門を攻め落とし、また、伏兵の手で、山上の八島寺から、平家の陣屋陣屋を焼き払った源氏の義経たちは
── 「まず、勝目は見えた」 として、ひとまず牟礼
の汀なぎさ に兵馬をまとめ、息を入れているころではあるまいか。 事実。 屋島の山腹やその下の浜に、蟻あり
の如く、なだれあって見えるのは、平家の人影だけで、源氏の兵は、まだ、屋島の内へは入っていない。 ── それなのに、源軍がもう屋島の内へ乱れ入ったかのような錯覚を抱いて、燃ゆる山に脅おびや
かされ、みずから身の位置を失っている平軍の有様は、たしかに、どうかしている。 指揮の統一に欠けたのか、暁あけ
まだき・・・ の仰天が、仰天のまま、まだ我に返っていないのか。 ともあれ、正常ではない。軍容をなしていな。 もっとも、宗盛が、内心、湛増たんぞう
の味方をあてにし過ぎていたせいもある。また、めったにないほどな大暴風雨に見舞われて、ここの地勢にとっては、最悪な条件下に不意を突かれたことも、この狼狽ろうばい
の一因と見られるが、しかし、総領の彼が、総領らしい沈着に欠けていたことこそ、何よりの不覚であったといってよい。 ── もう、陽は高くなりかけているのに、宗盛は、敵の正体を、その兵数さえも、まだ正確には、つかんでいない。 おそろしく過大に敵を観み
ているのである。 そのために、彼が、 「総勢、海上へ出て、海上よりあらためて、敵にまにえん」 としたことは、一応、適宜な命令のように、味方には聞こえたが、じつは、宗盛が度ど
を失っていた為の、飛んでもない命令であったというほかはない。 その命令も、まず、賢所かしこどころ
の神器を、御座船に移し、天皇と女院の渡御とぎょ
もすませた後、船へ移れと軍へ言えば、こうまで、混雑はなかったろうに、屋島の内に、火の手を見るやいな、 「──海へ、船へ」 と、いきなり将士へ布令ふれ
ちらしたので、このわれがちな騒ぎとなったものである。 武者は、よいが、おそらく、立ち竦すく
んだのは、大勢の女房たちに違いない。 |