〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十三) ──
や し ま の 巻 き

2014/03/06 (木)  たんみち (一)

一挙に、総門を攻め落とし、また、伏兵の手で、山上の八島寺から、平家の陣屋陣屋を焼き払った源氏の義経たちは ──
「まず、勝目は見えた」
として、ひとまず牟礼むれなぎさ に兵馬をまとめ、息を入れているころではあるまいか。
事実。
屋島の山腹やその下の浜に、あり の如く、なだれあって見えるのは、平家の人影だけで、源氏の兵は、まだ、屋島の内へは入っていない。
── それなのに、源軍がもう屋島の内へ乱れ入ったかのような錯覚を抱いて、燃ゆる山におびや かされ、みずから身の位置を失っている平軍の有様は、たしかに、どうかしている。
指揮の統一に欠けたのか、あけ まだき・・・ の仰天が、仰天のまま、まだ我に返っていないのか。
ともあれ、正常ではない。軍容をなしていな。
もっとも、宗盛が、内心、湛増たんぞう の味方をあてにし過ぎていたせいもある。また、めったにないほどな大暴風雨に見舞われて、ここの地勢にとっては、最悪な条件下に不意を突かれたことも、この狼狽ろうばい の一因と見られるが、しかし、総領の彼が、総領らしい沈着に欠けていたことこそ、何よりの不覚であったといってよい。
── もう、陽は高くなりかけているのに、宗盛は、敵の正体を、その兵数さえも、まだ正確には、つかんでいない。
おそろしく過大に敵を ているのである。
そのために、彼が、
「総勢、海上へ出て、海上よりあらためて、敵にまにえん」
としたことは、一応、適宜な命令のように、味方には聞こえたが、じつは、宗盛が を失っていた為の、飛んでもない命令であったというほかはない。
その命令も、まず、賢所かしこどころ の神器を、御座船に移し、天皇と女院の渡御とぎょ もすませた後、船へ移れと軍へ言えば、こうまで、混雑はなかったろうに、屋島の内に、火の手を見るやいな、
「──海へ、船へ」
と、いきなり将士へ布令ふれ ちらしたので、このわれがちな騒ぎとなったものである。
武者は、よいが、おそらく、立ちすく んだのは、大勢の女房たちに違いない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next