片腕を、武者の肩に扶
けられ、前後を大勢の幕僚に守られながら、内府ないふ
宗盛むねもり は、鈍々どんどん
と、かなたの山道を、降りてきた。 体の肥こ
えたあの宗盛のことなので、こんな場合でも、敏捷びんしょう
には欠けている。 わけて、山坂は、ニガ手らしく、傾斜の急な間は、つい足もとのみ気をとられて、ほかに他念もない顔つきだった。 ── が、やっと下の平地まで来ると、 「やれ、やれ」 と扶たす
けの者の肩を離れ、 「門脇殿 (教盛) 。はや、あらましの味方は、船へ移ったことであろうな。・・・・また、みかどにも」 と、後ろの群を振り向いて言った。 といっても、その答えを、確かめようとするのでもない。すぐ、尼の船の方へ、大股おおまた
で歩いていた。 二位ノ尼も、彼を見て、何か呼びかけそうにした。けれど、宗盛の眼は、そこの岸へ寄るとすぐ、たれを見つけたのか、急に、顔色を悪くして、 「やあ、そこにおりしか」 と、船中の女房の群れを、きっと、指さした。 「尼公あまぎみ
っ。あなたの背後うしろ に身を潜めておる厚顔あつかま
しい女めを、これへつまみ出してください。── その女郎めろう
は、敵の謀はかり をうけて来たまわし者にちがいない。憎いやつめ、これへ上がれ」 宗盛に指さされたのは、さくらノ局であった。 さくらノ局は、真っ青になって、尼の後ろに取り縋すが
っていた。顔じゅうを涙によごし、何か、尼へ哀訴しぬいている風だった。 「そこな女朗っ、出おらぬか」 宗盛は、なお言った。 彼が、こんなにも、猛々たけだけ
しい声で怒ったのはめずらしい。尼も、初めは、ただ呆あ
っ気け にとられた容子であったが、少し間ま
をおいて、 「どうしたものじゃ、内大臣おおい
の殿との 、ちと、大人気おとなげの
ないお怒りではないか。総大将ともあるあなたが、かかる中で」 と、たしなめた。 宗盛は、しかし、おさまらない。かかる総崩れを見たのも、さくらノ局のせいであると、一途いちず
に憎しんでいる姿なのだ。 「── いや、仰せではありますが、田辺の湛増たんぞう
とその水軍が、近くお味方に加わらんなどと、われらを歓ばせておいて、その油断を敵に突かせたのは、さくらノ局と敵との間に、何か諜しめ
し合わせがあったことに相違ない。── 尼公あまぎみ
っ、お庇かば いくださるな。成敗して、余人の見せしめとせねばならぬ」 「そのお疑いなら、さくらノ局一人でなく、田辺の使いより立ち帰った朱鼻あけはな
ノ伴卜ばんぼく も、奥州の吉次も、みな同罪ではありませぬか」 「もとより、彼らの罪も、後日、きっと糺ただ
さずにはおきません」 「ならば、さくらノ局の御成敗も、後になされたらよいでしょう。屋島にもいたたまれず、総勢、海へ浮かび出ようとしている今の間際に、何も、あまた御自身、小さい味方裁さば
きなどに、怒り立っておわさなくとも」 「・・・・・・」 「それよりは、内大臣おおい
の殿との よ、みかどは、どうなさいました。みかどの御守護は」 「・・・・・・」 「みかどの御安泰こそ、大事ですのに」 「いや、主上や女院のお側にも、大勢お付き添い申しています。御心配はありません。・・・・ゆめ、御心配は」 と、言っているところへ、一艘の兵船が、櫓ろ
しぶきをあげて、近づいて来た。 |