いったい、たれから出た命令なのか、命令する者も、その出どころは知っていない。 正しくは、総領の内府宗盛
から発しられたはずのものだが、その宗盛の姿さえ、どこにいるのかわからない状態である。 ほか、一門の主将もみなちりぢりばらばららしい。そしてそのたれもが、やたらに命令らしき言を口走るので、混乱のうえになお混乱を加えてしまうばかりだった。 「船へ移れ、総勢、船へ退け」 「ひとまず、海上に浮かび出で、陣を立て直そうとノ、お布令ふれ
なるぞ」 「やあ、あわてるな、それは女房船ぞよ。兵どもは、女房船へ飛び乗ってはならぬ」 そこは、屋島ノ御所の真下にあたる磯いそ
だった。 先ごろの大雨のため、崖がけ
なだれができ、船着きの桟板かけいた
も道の一部も、土砂の流出に埋もれている。 いや、そんな条件は、今、問題ではない。 屋島の傾斜いちめんが人なだれを呈していた。全陣屋の女房たちから将士のすべてが、ここの水際みずぎわ
目がけて、駆け降りて来、船へ船へと、われがちの騒ぎを見せていたのだった。 その船も、十艘や二十艘の数ではない。屋形造りの大船から、筏いかだ
にひとしい馬立ち船にいたるまで、何百艘ともしれぬ船影が、ここの浦和うらわ
から対岸の半島の岸 ── 久通くづう
、丸山、船隠し辺にまで、揺れ動いていた。 北嶺ほくれい
の下は絶壁だが、そこから飛び乗った将士を満載して、すでに、湾口の方へ離れて行く船影も多かった。 「おおうい。尼公あまぎみ
のお船はどれか」 「二位どののお船を寄せよ」 雑兵ばらは、しばしその辺を遠くへ退けい。二位どのが、おいでになる。二位どののお船をば、岸へ寄せい」 丹後介たんごのすけ
忠房ただふさ と宗盛の子清宗のふたりだった。そこへ来るやいな、しきりに混雑を制していた。 まもなく、二位ノ尼は、武者の背に負われ、近親の僧形そうぎょう
やら大勢の女房たちに囲まれて、嶮けわ
しい崖道がけみち からこれへ降りて来た。 尼を負うて来た武者は、宗盛の乳人子めのとご
、飛騨ひだの 四郎兵衛しろうびょうえ
景経かげつね で、 「しっかり、お縋すが
りつきくださいませ。しっかりと、それがしの肩に」 と、背の尼にいいながら、揺れ動く船の桟板かけいた
に、足拍子を合わせながら渡って行った。 |