「おお、敵は総門へ引っ返して行くぞ」 「それっ、逆追
いに移れ」 伊勢三郎たちの、例の野馬隊は、志度
しど の端はず
れで、向きを変え出した。 ── 後ろから追撃をつづけていた平軍が、にわかに、元の道へ引っ返し始めたからである。 義経の命を受けて、北海岸の津田、鴨部、志度と急いで来、今暁から、さんざん、屋島の眼をあざむいていたこの一小隊は、 「時こそ」 とばかり、そのまぼろし的な任務をかなぐり捨てて、相手の転進を見たとたんから、急に、平軍の後を追い慕っていたのだった。 牟礼むれ
の総門に近づくと、もう、前面にいた義経と、上総忠光かずさのただみつ
や越中次郎兵衛らの軍との間には、激烈な戦いが起こっている。── 当然、彼ら野場隊は、どっと、その敵の背後から突っ込んだ。 ここの平軍だけでも、数は、はるかに源氏より多い。が、彼らは挟撃きょうげき
の中に陥お ちてしまったのみか、歩兵が大部分なので、東国武者の馬群の前には、思いのままな好餌こうじ
だった。蹴散けち らされ、蹴散らされ、みるまに、惨たる犠牲を積み重ねてしまった。 「ぜひもない。残念だが、このうえは」 と、上総忠光は、大息をあえぎながら、 「──
盛嗣もりつぐ どの、ひとまずここは退こう。船隠しにある味方の陣へ」 と、越中次郎兵衛へ呼びかけた。 干潟ひがた
の橋は、占領されていたし、総門もまた、すでに焼き払われている。 逃げ道は八栗やぐり
半島に求めるしかなかったのだ。 ── やがて平軍は、牟礼むれ
の汀なぎさ を北へ潰走かいそう
し出した。むなしく、屋島御所を、左の対岸に見ながら、五剣山ごけんざん
の下を縫って、久通くづう 、船隠し方面へ、われがちに、なだれて行った。 義経は、部下の逸はや
りを惧おそ れて、 「追うな、深追い無用」 と、しきりに制していた。 そして、野馬隊の一群をさしまねき、 「手柄であったぞ、殿輩とのばら
」 と、彼らの労を称たた
え、 「首尾よく出会うたな、伊勢とも、深栖ふかす
とも」 相互の無事と、策の成功を、ひとまず、ともに歓よろこ
びあった。 よろこびは、そればかりに尽きない。 かえりみると、この時、百七、八十騎に過ぎなかった義経の麾下きか
は、三百余騎にふえていた。── というのは、今暁以来、諸所の山野に隠れていた反平家の郷武者さとむしゃ
が、源氏の旗を見、火の手を望み、 「ぜひ、ぜひ、御陣の端にでも」 と、続々、馳は
せ参さん じて来たからだった。
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