だが、総門もすでに焼き払われてい、逆に、彼らは、かなりの煙りをくぐって駆け進んで来た源氏の馬群からいきなり猛烈な反撃を食った。 「判官どのの家臣、なにがし」 「鎌倉どのの御内
のたれ」 口々に名乗りかかって来る敵には、初めて聞く名もあり、一ノ谷や鵯越えで聞いた名もある。── 畠山庄司重忠、熊谷次郎直実、佐藤継信、忠信の兄弟、武蔵坊弁慶など、屋島の内でも、知らぬ者はない。 平軍は、気圧けお
されたように、いちど半町ほど退いた。意図の下に、後退したかとも見受けられる。騎馬と歩兵の混成であり、はるかに、徒士かち
の方が多かった。その乱脈な足並みを直し、陣容をただして戦わんとするものらしい。 やがて、その前列をすこし離れて、一騎、何か 「物申さん」 とするらしい平家の侍大将があった。 源氏の金子十郎が見て、これも駒を前へ進め、 「まかるは、越中えっちゅうの
次郎兵衛じろうびょうえ 盛嗣もりつぐ
か」 と、言った。 「さなり、なんじは」 「武蔵の住人、金子十郎家忠」 「── さらば問わん」 「と、越中次郎兵衛は、ありったけな声で、 ここの屋島には、かしこくも、おいとけなき帝みかど
と、おん母建礼門院もましますなれ。みだりに、行宮あんぐう
を騒がしたてまつる賊子ぞくし
は、何者か」 「賊臣とは、それ、なんじら平家の名であろうが、都には、一院を始め百官の侍座じざ
し給う天子がある」 「なんの、他に正しき天子があろう。三種の神器は、われら屋島の内にあるものを。── それしきの、わきまえすらなく、これへ来て、犬死を曝さら
さんとする賊の大将軍は、そも源氏の何やつか」 「な、なに」 「なんじら、葉武者はむしゃ
の名など、聞かずともよし。実じつ
の大将こそ、それへ出て、名のり給え」 「あな、広言を」 と、金子十郎は、あざ笑って、 「舌の根にまかせて、さても、申すわ。左さ
申もう すなんじは、先年、北陸路でも、木曾に打ち負け、鵯越えのおりも、須磨すま
ノ浜はま より、命からがら、舷ふなべり
に取りついて、からくも沖へ逃げのびた木っ葉武者の随一ではないか。── その腰抜けへ、申し聞かすもおろかなれど、わが君は、鎌倉どののおん弟、大夫判官たいふのほうがん
義経よしつね の殿ぞ。一院の仰せをかしこみ、平家を討ち、三種の神器を、賊手より奪と
り回かえ すべき御使みつか
いとして参ったのだ。今のうちに、かぶと、弓太刀を、地へなげうって、降伏するなら、なんとかおれが扱あつこ
うてくれよう。── どうだ。次郎兵衛じろうびょうえ
」 と、ののしった。 越中次郎兵衛も、負けずに、 「盗人ぬすびと
も、いわせれば、ひと理屈を吐く、雑言ぞうごん
は、もはや無用。九郎殿に見参せん。十郎は、その退の
け」 と、馬を躍らせかけた。 その馬へ、馬を絡から
ませて行った金子十郎は、すばやく、 「この下臈げろう
っ」 と、一颯いっさつ
をくれた。大太刀の閃光せんこう
だった。 次郎兵衛は、危うかった。矢つがえしたままの弓手ゆんで
を、片手握りに持っていたが、 「あ ──」 と声を浮かせ、屏風びょうぶ
だおしになるかと思うほど、身をねじ反そ
らした。 が、からくも、馬のしりがいは勢いよく一回転していた。せつなに、攻勢を取り直し、ギリッと一絞ひとしぼ
り弓を張って、まったく攻守こうしゅ
の位置をかえてしまった。 こう、近々と、鏃やじり
を敵の頭につきつけて迫る形が、最も有効に、そして弓の威力を相手に感じさせる時なのである。太刀や薙刀なぎなた
では届き得ない距離でも、矢は届きすぎるほど届く。そして、めったに、的まと
を外はず すこともない。 十郎は、
「しまった」 という姿勢で、駒のたてがみに身を沈め、鎧よろい
の片袖で、顔へ楯たて を作りながら、間断なく、馬をぐるぐる迅はや
くまわした。しかし、次郎兵衛の方でも、鏃やじり
の穂先を、寸分も、的の彼から離すことはなかった。 その時、何か、波のような、うねりが、両軍の上に揚がったと思うと、別な一騎が源氏の群から駆け出していた。 金子十郎の弟、親則ちかのり
だった。 見ると、親則の手にも、弓が引きしぼられている。 名乗りか何か、そこで叫んだようであった。 だが、両軍のどよめきに、そてはたれの耳へも透とお
らない。 ただ、親則が駆け寄りざま、横あいから、射た矢が、越中次郎兵衛のどこかに立った。たしかに刺さった。 同時に。── 次郎兵衛の弦つる
を離れた矢は、金子十郎の姿をわずかに逸そ
れ、むなしい矢うなりを遠くへ消した。 息づまるばかりな一瞬も、すぐ、両軍の喊声かんせい
と、入り乱れる人馬の影に吹きくるまれた。── 越中次郎兵衛は、すばやく味方のうちへ紛まぎ
れ込んだ。── そして、他の騎馬と騎馬との接戦に移り、その間を縫う歩兵の死闘ぶりなど、修羅図しゅらず
は、一変していた。 |