〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/28 (金) そう もん おと し (二)

矢はなかなか当たらないものである。
まん を引き、息をため、丹田たんでん の気とつる をひとつに切って放つには、よほどな手練と沈着がいる。
まして、恐怖の兵が、たてさく の隙間から、浮き腰で射る矢などは、おおむねヘロヘロ矢にすぎない。
当るのも、まぐれ当り。せいぜいが、相手の草摺さくずり かしころに刺さって、敵の勇姿を飾ってやるだけのものだった。
豪胆ごうたん に見える歴戦の士の行動も、じつは、矢はさしてこわ くないことを知悉ちしつ しているのである。わけて東国武者は、矢前やまえ の身づくろいや、矢道の突進に馴れている。── 彼らは、どっと柵へ迫って、
「そこ打ち破れ」
と、総門の木戸へむらがった。
馬混みの中からすざまじい物音がわいた。たれかがそれへ岩石を投げたらしい。土けむりが立ち、巨材の裂ける響きがした。
無造作なほど、柵内の守兵は、八方へ 散らされた。騎馬と徒歩かち とでは、みじめな違い方である。刃が立たない。
「ここも、火とせよ。十郎」
田代冠者たしろのかじゃ 信綱のぶつな が駆けつつ言う。
「心得て候う」
と、金子十郎家忠、親則ちかのり の兄弟。
江田源三、熊井太郎ど。
用意の油松明あぶらたいまつ を、あちこち、眼にはいるかぎりの建物へ いて走りまわった。
この辺りは、浜のなぎさ である。屋島へ退 こうとする兵は、橋一つに混みなだれ、また、ほり とも川とも見える干潟へ飛び込み、首だけを見せて、ざぶざぶと、対岸へ逃げ渡って行った。
干潟ひがた には、まだしお がある。
この日の干潮時は、こく ごろ、暦数家の正確な陰暦計算によれば、いまの午前九時四十分であったという。
── とすると、義経たちが総門へ殺到さっとう したのは、たつこく (八時) 前後とみて大差あるまい。
そして、ここを序戦に、ほっと、ひと息つくひま があったかどうか。
おそらく、そのころには、志度方面へ、あらぬ敵を深追いしていた上総かずさの 忠光ただみつ や越中次郎兵衛らの平軍も、
「はて。── いぶかしいぞ」
と、そのはか られた道に戸惑いを踏んでいたに違いない。
彼らが、暗いうちから、敵の主力とのみ思って、長追いをつづけていたのは、例の、義経が子飼の者 ── 草の実党の三十余騎を、伊勢三郎と深栖ふかすの 陵助りょうすけ がひきつれ、巧みに、虚実をえがいていたものだった。
「余りといえば、逃げ足の早さ、数も少ない敵なのに、松明の燃え殻ばかりは、何百となく、道々に捨ててある。木の枝にさえ、くくりつけた様子がみえる。もしや敵の火計ではあるまいか」
こう気づいて、忠光がまず怪しみ、越中次郎兵衛もまた、
「あら迂闊うかつ さよ。前の敵が偽計とせば、後ろこそ、気がかりなれ」
と、にわかに、あとへ引っ返し始めた。
そして、彼らはまもなく、古高松から牟礼一帯の黒煙りを、その眼で見たに違いない。
「── 南無三、まことの敵はかなたに ──」
と、大あわてに、元の総門へ、駆け戻って来たのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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