〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/28 (金) そう もん おと し (一)

古高松というのは後の地名である。 “和名抄わみょうしょう ” にみえる高松ごう古称こしょう であろう。現在の高松市の東一里半、屋島の南の浦に接してい、潟本村かたもとむら 、古高松など、すべて当時は、屋島やしま 内裏だいりめぐ麓町ふもとまち といった形であった。特に、女房御所やら一門の公達きんだち 以下、数千の都人みやこびと が屋島に定住しはじめてからは、辻々の条里も備わり、戸々の町屋も思わぬ繁昌ににぎ わっていたことだろうと思われる。
だが、そういう聚落じゅらく ── 人の集団の運命も、何が倖せで、何が不幸かわからない。
── そこの住民たちは、今朝、眼ざめたとたんに、黒煙りに せ返った。ほのお の海の中に、わが家があり、妻子があり、自分もあった。
「死、死ぬぞっ。はよう逃げよ、逃げよ」
「── た、助けてえっ」
吾子あこ を、吾子を」
まだ、朝の戸も開いていない家々の内からであった。嬰児えいじ のさけびまで交えた阿鼻叫喚あびきょうかん をつつんで、火が呼び起こす火の熱風が音をたてて けてゆく。 旋風つむじ に乗った古家の板戸が車みたいにカラカラ往来をまわされ、まろび出た女子どもは、いくたびも、武者の馬蹄ばてい にかけられそうになった。それは忽然こつぜん と ── まったく忽然と、ここの住民が見た東国武者の影だった。
いうまでもなく、長尾道を越えて、予定の未明に雪崩なだ れ入った義経の本隊なのである。ただちに五騎十騎と、幾組にも別れ、全町へ火を放ったのみでなく、べつに牟礼むれ へ入った組も、牟礼の部落を焼きたて、路傍の建物でも、牧の小屋でも、仮借かしゃく なく火をつけた。
敵へ迫るのに、敵でもない、無辜むこ の民家をまず焼き払う。手段を選ばない戦争のすがたは、古今の違いもなかったのだ。軍の常套手段じょうとうしゅだん として、敵味方とも用い慣れている。特に、屋島攻めのさいは、源氏はその弱小な人数と、出没の影を、平家方にさとられまいために、必要以上にまで、火を放ったものらしい。煙幕を利用したのである。
「まず牟礼むれ の口を れ」
「牟礼の総門を破れ」
「総門へ」
「総門へ」
それは合言葉のように、奔馬の上の甲冑かっちゅう から甲冑の影へ呼び交わされていた。煙りの中に十騎、七、八騎と分散していた少数の群は、むらむらと一方面に駆け集まって来、分厚い鉄騎の陣を見せた。縦隊でもなし、横隊でもない、ただすさまじい爆地の響きをもった真っ黒なものが、雷気らいきはら んだまま突進して行くとしか見えない。
屋島の下は、ちょうど、すそ まわしを見せた衣裳のように、海のさし潮で縫われている。それは人工のほり に似ているが、自然の地形であった。こなたの陸地とは完全に縁が切れている。
が、総門道だけには、橋のあった跡がある。
おそらく、それもおとといの高潮で流失したに違いあるまい。残された橋杭はしぐい に、にわか修理を加え、粗板あらいた を敷きならべて、急場の通路としていた。
「やっ、来るわっ」
「東国武者だ」
「敵ぞっ、敵の騎馬勢ぞ」
総門の平軍は、その辺り一帯に、吹きためられた木の葉のような戦慄せんりつ をみせ、みなさく のうちへ隠れ込んでしまった。── 敵の騎兵団に対し、彼らのほとんどは、歩兵だったからである。
が、馬も皆無だったわけではない。総門には常備兵力も千をこえているはずだった。
── が、未明の第一に、志度方面のおびただしい松明たいまつ を見、それを敵の主力と信じたため、上総かずさの 忠光ただみつ 、越中次郎兵衛など、ここのあらましは、つり込まれて深追いしてゆき、まんまと、あとの空巣へ、義経たちを招いてしまったわけである。
その義経は、ここへ来ると、近々と、屋島を眼にして、馬上から、
「── 一院のおん使い、検非違使五位けびいしのごいじょう源九郎みなもとのくろう 義経よしつね
と、高らかに名乗った。
その日の彼のよそお いは。
むらさき裾濃すそごよろい赤地錦あかじにしき のひたたれ、乗ったる馬は大夫黒たゆうぐろ と、古書どれも一致している。彼ばかりでなく、彼の部下は皆、おのおの、晴れの装束しょうぞく をこらし、それはまた、死装束とも期して心に着込んでいたに違いない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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