五、六騎は、忠光からの、伝令だった。 上総五郎兵衛忠光は、総門の兵力をこぞって、すぐ志度方面へ陣を進め、敵に備えていたが、一こう敵はその正体を見せて来ない。 不審に思って、物見を放ったところ、敵は、忠光の備えを知ったと見え、にわかに、退却し始めたものらしい。 路傍にはおびただしい松明の燃え殻ばかりが捨て散らされてあるとのこと。 そこで、忠光は、一挙に敵を捕捉
せんものと、急追きゅうつい して行ったので、逃げた敵は、袋の鼠ねずみ
か、みなごろしに遭あ い、お味方の凱歌がいか
となって、程なく引き揚げて参りましょう。── そういう伝令の口上だった。 「はははは、なんのことはない」 宗盛は、そう聞くと、笑い出した。 常に手入れよく染めている鉄漿おはぐろ
の歯が、ようやくいつもの美しい黒光りを、彼の笑顔の中で見せた。 「── 泰山鳴動たいざんめいどう
して鼠ねずみ 一匹いっぴき
とはこのことであろう。はははは、敵は、小勢のみならず、そんな弱さか、もう逃げおったか」 「さればで」 と、伝令五人は、口々に。 「始めのほどは、上総かずさ
殿どの にも、必定、手ごわい敵と見、総門の兵をこぞって、押し進みましたなれど、そのようなもろさ。・・・・なおまた、道々の農家にて、敵の様子をただしましたところ、あの火光も、松明ばかりの見せかけで、実数は五十騎のも足らず、しかも、鞍くら
、物具もののぐ などの装よそお
いも、雑多にて、いと貧しげな雑人輩ぞうにんばら
ばかりと、みな申しおりまする」 「すれや、いよいよ、おかしいぞ。・・・・なんと桜間ノ介すけ
、そちの訴えとは、少し違うではないか。そちはしかと、九郎判官を眼に見たのか」 「あいや、仰せではありますが、上総殿の深追いは、ちと軽率かと危ぶまれます」 「なぜ」 「この桜間ノ介が、眼に見た敵は、ただ今、使番より申し上げたような雑人勢ぞうにんぜい
ではございませぬ。── 判官その人は申すに及ばず、その旗下には、源氏にたれありと敵にも知らるる東国の強者つわもの
── たとえば武蔵坊弁慶、佐藤継信、忠信。畠山重忠、熊谷次郎直実などと覚しき面々、みな良き駒に、よき物具もののぐ
、よき太刀、弓などを、誇りに持って」 「だまれ、聞き苦しいぞ、桜間ノ介」 「は。・・・・?」 「察するに、そちは、国の留守を怠り、雑人勢ぞうにんぜい
にひとしき敵に、打ち負けて、舘まで焼かれて追われた身の不覚を繕つくろ
うために、わざと敵を大形おおぎょう
に申し触れて来たのであろうが。いや、そうにちがいない」 「こは、心外なお疑いを」 桜間ノ介は、口惜しげに、 「あわれ、平家も末か。御総領ともあろう御方が、まだお気がつかぬわ!
それがしの言が嘘うそ か真まこと
か、物試ものだめ しだ、見ておられたがいい」 と、吠ほ
えながら顔じゅう皺苦茶しわくちゃ
にして泣いた。 そして、忌々いまいま
しげに、起って、どこかへ姿を消そうとでもしたのだろう。疲れ切っている身を、よろと起こして、さらに幾足かよろめいた。 狂わしい彼の血相に、 「ぶ、無礼すな!」 と、辺りの武者たちは、何か勘違いしたらしく、彼を囲んで、抱きとめた。すると、彼は、 「ば、ばかな。──
能登どのの仰せたことを覚えておれ。後にこそ、思い知ろう」 と、身をもがいて、 「なぜ、おれが、無礼といわれるのか。平家を思えばこそ、山路ばかり十数里を、寝もせず、食いもせず、一刻も早く大事をお告げせんと来たものを、身の不覚をいい繕つくろ
うわと、あらぬお疑いをかけられて、なんでうれしいぞ。なんで武者の面目やある。── このうえは、ただ一人でも、ふたたび道を取って返し、九郎判官に行き会うて、斬り死にするばかりのこと。離せ、離し給え」 と、なお猛たけ
った。 すると、じっと見ていた能登守教経が、そばへ来て、彼の猛たけ
る肩をたたいて慰めた。 「介すけ
よ、まあ、しずまれ、わぬしの怒りはよくわかる。・・・・が、もう、わぬしの言が嘘でないことは、はっきりして来た。── 空を見ろ、そらを」 「・・・・えっ?」 思わず眸を上げたのは、桜間ノ介だけではない。床几の諸将、地上の武者たち、すべての顔が、教経の指さしに釣られて空を仰向いた。 ──
仰ぐと真上の天を、早い、綿のような暗影が、いちめんに、屋島の南嶺なんれい
から北嶺の頂をかすめつつ播磨灘はりまなだ
の方へ流れて行く。いつのまにか、星影は消え、空はうっすらと、明けそめていたのである。 「やっ、あれは?」 「煙りだ。すさまじい黒煙りぞ」 |