総じて、一門の人びとの諸陣屋は、屋島の東側から北へかけての山下と中腹に集まっていた。 直ぐ眼の下は、壇
ノ浦うら (屋島の壇ノ浦とはべつ)
とよぶ湾内の海ふところだった。対岸が船隠しの浦、また南へうねっている一条の道は、干潟ひがた
を渡って、屋島総門の口へ往来が自由である。 水軍の便、陸上の便など、にらみ合わせて、内裏の位置も定められたに違いないが、すぐ後ろに、嶺みね
を背負っているせいで、昼も日蔭だし、海の色、山の茂みも、なんとなく陰気であった。 わけてここもまた、地の利を得たものでなかったと知ったのは、きのうまでの、あの大風雨で、嶺水みねみず
は押し流されて来、崖がけ くずれは、御所の園その
を埋め、どこの陣屋も、泥土に傾いていないのはない。 一門の総領そうりょう
、内府ないふ 宗盛むねもり
の陣所も、例外ではなかった。しかし、彼のいる所は、そのまま本営であるから、みかどや女院は、一時、経盛の陣屋へ遷うつ
られても、全軍の形の上から、彼までが、めったに動くわけにはゆかない。 ── で、昨日一日中は、土砂の始末や急場しのぎの板屋普請ぶしん
に取りかからせ、ともかく、母の二位ノ尼を迎え、宗盛は仮寝の姿で、昨夜を明かしかけたのである。── いやその一夜すらも、まだ満足に眠りきったとはいえないまに、──
この暁闇ぎょうあん の異変だった。──
ただならぬ物音や哨兵しょうへい
の叫びにがばと跳ね起き、身に大鎧をまとったのも、半ば、夢見心地であったろう。 「何事ぞ、四郎しろう
兵衛びょうえ 」 陣屋の一ノ小屋まで、彼はその巨躯きょく
をゆさゆさと運んで行くまで、まだ、事の真相が、頭によくつかみきれなかった。 「── 源氏が襲よ
せて来る? そんなばかなことが」 と、どこかで多寡たか
をくくっていた。 飛騨四郎兵衛ひだのしろうびょうえ景経かげつね
は、宗盛の乳母子めのとご である。 宗盛の一の家来とも言われている者。 「おう、内大臣おおい
の殿。── 容易ならぬことのようでござりまする。阿波の桜間さくらま
ノ介すけ の告げによれば」 「桜間ノ介が」 「山越えでこれへ逃げて参りました。義経の一勢いちぜい
、阿波へ渡り、すでに大坂越えを経、これへ近づきつつあるとか」 「えっ、まことか」 「お直々じきじき
に、桜間ノ介へ、なおお訊たず
ね給わりませ。── あれに控えておりますれば」 四郎兵衛の指さす所に、一個の人影があった。みじめなばかり疲れ切った姿で、篝かが
り火び のゆらぎを横顔に受け、惨さん
として、地面に平たくなっている。 「おう、阿波民部あわのみんぶ
が弟よな」 「は。・・・・桜間さくらま
ノ介すけ 能遠よしとお
にござりまする、兄民部が、国の留守の間に、なんとも不覚なる敗北をとげ、面目次第もございませぬ」 「敵は、判官義経か」 「・・・・左候さそうろ
う」 桜間ノ介は、ふと、男泣きの肩を、ふるわせて、 「一時は、斬り死にせんかと存じましたなれど、いや待て、事の急を、屋島へお告げ申さではと、炎の舘をうしろに捨て、吉野川の上流かみ
へ逃げのびました。それより飢えも眠りも忘れて、曾江山そえやま
、奥鹿おくが の山々を越え、からくも、これへたどり着いた次第でございまする。一刻も早く、急を諸陣屋へお触れあって、源氏の不意を迎えて撃てと、備えをお命じくださいませ」 「さては、あの判官ほうがん
めが、小さかしくもまた、屋島のうしろを突いて来たか、しゃつ、なんでそうたびたび、鵯越の二の舞をわれが踏もうぞ。── 桜間ノ介」 「はっ」 「よう、早く告げて参った」 「・・・・は。おそらく、敵は大坂越えから、引田ひくた
、白鳥、丹生にぶ を急いだものと思われまする。はや、御猶予なく」 「四郎兵衛からもいま聞いておる。四郎兵衛、触れを出せ、陣々へ」 「お言葉までもなく、すでに、陣触れはもれなく走らせておきました」 「船手へも告げてあるか。水軍の能登のと
どのへ (能登守教経のりつね
) へは」 「能登どののい陣所、船隠しの浦へも、使いの兵に小舟をあやつらせ、御用意あれと、告げ渡しましたが」 「いや、そんなことでは間ま
どろいぞ、頂の櫓やぐら ケ岳だけ
より、全軍へ火合図せよ。また総門の櫓からも、貝を吹かせい」 次第に語気が高くなった。 ようやく、彼もあわてだしたのである。 しかしそのあわて方すら、宗盛らしい緩慢さであった。なぜならば、時すでに、屋島山上の望楼でも、また対岸の五剣山の上でも、遠見の兵が、 「や、や、あの火光は?」 「志度しど
、牟礼むれ のあいだを」 「松明に違いない。なんと、おびただしい」 「さては、敵か」 「源氏に違いないわ。すわ、事ぞ」 と、騒ぎ出したのである。 たちまち、それは屋島全山の騒動となり、また五剣山からまろび落ちるが如く駆け下りて来た遠見の兵の知らせで、船隠しの浦の水軍も、どよめき騒いでいたのだった。 時に、暁天ぎょうてん
はまだたくさんな星を見せてい、湾内の潮うしお
は暗かった。 水軍の大将教経のりつね
は、 「よも天から敵の降って来るわけはあるまい。つい昨日までも、あの荒天こうてん
、あの浪あらき海上、いぶかしいことではある」 と、疑いながらも、ともあれ、すぐ早舟に飛び乗り、屋島の御所のすぐ下へ、漕こ
ぎ渡って来た。 宗盛の布令ふれ
が行くよりも、彼の来た方が先だった。宗盛も、もうその時は、志度方面の敵の火光を聞いている。櫓ケ岳の哨兵から知らせを受け、その顔色は、一そう硬こわ
ばったものになっていた。 二位ノ尼も、一重の陣幕とばり
を引いたかなたの仮屋かりや の内に、姿を見せており、そばには宗盛の一子で、ことし十七の清宗が侍座していた。そのほか一門の妻女や雑仕女ぞうしめ
など、ここにも消えんばかりなおののきを集めた一群の蝶々がなおいたのである。 さくらノ局も、座の中にいたが、あの驕慢きょうまん
さはなく、他の女房たちと血の色もない顔をひとつに、じっと、さしうつむいていた。 |