みかどは、お寝相がわるい。 よく遊び、よく暴れた日ほど、夜のおん寝姿は、他愛がない。 ときどき、夜具
や御衣ぎょい を剥は
いでしまう。御枕もどこへやら転々と身うごきなされる。 けれど、どんなp格好になっても、ふさふさとした童髪は、おん母の真白いふところの奥へ、深々と埋めこんでい、そのお頭おつむり
の位置だけは決して変わることはない。 さらぬだに、女院は何度それに眼をさまされては、みかどの上へ夜具よのもの
を掛け直してあげることかしれなかった。 ── が、こよいに限って、みかども、じっとお寝やす
みだった。女院もまた、昼のお疲れやら、まずここに塒ねぐら
を得たと思う安堵あんど やらで、ぐっすりされたようだった。それから、やがて、夜半ごろであった。 ──
後に思えば、虫の知らせであったろうか。 なんとなく、胸ぐるしくて、女院はふと、眼をさました。うつつなく、どこかの掛樋かけひ
の水音が耳につく。そのうちに、 「・・・・おや?」 と、みかどのお体がいつになく熱っぽいのに気づいたのである。 深いおん寝息はみえるが、息づかいが、いつもと違う。額に手をあててみると、火のようである。女院はすぐ典侍を呼ぼうとされたが、よくある智恵熱というものか、晨あした
には、けろりとしていらっしゃるような例も、これまでにままあった。 「みなも、疲れていように・・・・」 女院は起きて、手筥てばこ
の底の薬をさがした。みかどにそれをお服の
ませするため、廊を渡って、自身、掛樋かけひ
の水を、器うつわ へ汲みに行ったのだった。 すると、掛樋の床ゆか
の竹窓越から、坪つぼ (庭)
向うの一室へふと眼をひかれた。灯影の揺れと、人の気配がしたからである。 ひとりは乳人めのと
の帥ノ局、ひとりは、彼女の良人おっと
、平大納言時忠に違いなかった。でも、たまたまの逢う瀬をたのしむとうな年でもない。老夫婦といえるに近い二人である。おそsらく、人びとの寝しずまった後で、主上のお行く末のこととか、お互いの覚悟とか、平家の運命を見とおしている時忠が、妻の典侍に何事かを言い含めてでもいたのではあるまいか。 二人の影は、そこの一室を出て来ると、左右の廊へ、黙って、別れて行った。 「・・・・・・」 もとより女院は、たいあいてお気にもとめなかった。 寸時も、心はみかどから離れられない。こうしている間も、みかどが、おん眼をさまして、そばの見えない自分の姿に泣いていらっしゃるのではないか
── などと思われて。 器の水を両手にささげ、女院は心もそぞろに、廊を戻って来た。そして、寝所の妻戸つまど
を入ろうとした時だった。彼女の姿を見かけた帥そつ
ノ局つぼね が、何事かと、驚いたように、 「どうか遊ばしましたか。まだ夜も明けておりませぬのに」 と、ともに、簾す
の内へ入って来た。 「オオ局か。見て給た
も、みかどが、すこしお熱のようにうかがわれるのです」 「えっ、お熱が」 帥そつ
ノ局つぼね には、幾人もの子を持った覚えがある。屋島には典医もいないので、何よりは、母親の体験を多く積んでいる帥ノ局のような人の意見や処置が、常々、何よりの力であった。 「たいして、お悪い御気色みけしき
とはうかがえませぬ。かろい御風気ごふうき
ではございますまいか」 「では、いつも差し上げるこの唐薬とうやく
でも」 「およろしゅうございましょう。昼の間、暴風雨あらし
のあとの濁り水に、夢中でお戯れでしたから、すこしお冷えになったのかもしれません」 おん母は、みかどを、ひざへお抱きして、帥そつ
ノ局つぼね とともに、寝ぼけまなこのお唇くち
へ、しきりに薬をおすすめした。 ── その時、だ、だ、だ、だっと、たれかが、遠くの廊を駆けて通った。が、それきりなんの物音もせず、ここへたれの来る様子もない。 みかどは、さんざんに、おん母たちを手こずらせた。お首を振っては、 「いや!いや!」 とのみ烈しく拒こば
むので、女院も局も、そのお力には、負けてしまい、しばらくは、薬を措いて、ご機嫌を取っているしかなかった。 ── と、ふたたび、前にも増した跫音あしおと
につれ、何か喚わめ くらしい口々の声もして、にわかに、陣中が異様な騒ぎにわき返った。 そのせいか、または、お熱のため何か幻影でも見られたものか、みかどは突然、 「こわいっ。・・・・恐こわ
いっ」 と、悲鳴に似たお声を上げて、続いて、わあんっ ── と声かぎり泣き叫ばれた。 しかも、すぐ外の妻戸の口では、 「── 女院さま、大変でございまする。女院さま、女院さま」 と、何事か、内へ告げる女房たちの声が、これも泣かんばかりであったが、みかどに気をとられてか、なかなか内の御返辞もない。 そのあいだに。 あちこちの簾す
の間ま から、大納言ノ典侍、臈ろう
の御方おんかた 、治部卿じぶきょう
ノ局つぼね 、北きた
ノ政所まんどころ 、その侍女やら、ほかの小女房たちなども、わらわらとここの妻戸の口一つに集まって来て、時ならぬ旋風つむじ
に吹き寄せられた花屑はなくず
のように、おののきおののき、なお、奥へ向かって告げぬいた。 「女院さま、女院さま。源氏が襲よ
せて来ましたそうな」 「── どうしたことか分かりませぬが、志度しど
の方から」 「はや、源氏勢の攻め声たら、たくさんな火の数かず
も、遠くのやみに」 「そして、こなたへ、近づいてまいりますとか」 「経盛どのも、仰天あそばし、武者どもも、一人残らず、物具もののぐ
よろうて、お陣屋から駆け出して行きました」 「みかどにも、女院さまにも、はや、お身じたく遊ばしませ。もう・・・・ゆめ、ただ事ではございませぬぞえ」 ──
それは、時刻からみても、ちょうど、丹生にぶ
の追分で、南北ふたてに別れた義経軍の、どっちか一隊が、もう、そろそろ屋島附近へ迫って来る時分。 けさは、まさに二月二十日。 が、まだ明けきらない空に、白々と無慈悲な顔した残月があった。
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