「オオ。渡らせられたような」 二人はともに、庭上へ出
── 「山坂も大雨のあと、おん輿
もさぞ御難儀を」 と、あわててお出迎えに立った。 やがてのこと。侍従の少将有盛やら、衛門えもん
の武者、お学問所の師僧、小女房たちの、たくさんな供奉ぐぶ
の群れが、木戸の外に、むらがり見えた。 ── けれど、輿は空輿からごし
で、地へすえおかれ、みかどのお姿は、そこらにない。 「はて?」 時忠も経盛も、ふと、いぶかり顔していると、すぐ後ろから、何にはしゃいでおいでなのか、きゃっきゃっと、笑い興じる幼帝のお声がして来た。 見ると、御庭守おにわもり
の大将、伊賀平内いがのへいない
左衛門さえもん 家長いえなが
という大兵な侍が、みかどを、肩ぐるまに乗せ、みかどは、平内左衛門の首の根をおんまたぐらにはさんで、彼の眉の辺に、小さい両の手をまわして見えられた。 「やあい、──
てんぐるまよ、てんぐるまよ、輿より高いぞ、てんぐるまは」 みかどは、その上で、躍り躍り、 「── 馬より遅いは、どうしてぞ。このてんぐるまは、蝸牛でんでむし
かや」 わざと、おん手を離したり、また、平内左衛門の顔につかまって、ピシャピシャたたいてみたり、ひところの、ひ弱げな御容子は失せ、山御所の一年余で、お丈夫になったのは確かだが、腕白ぶりは、里童さとわらべ
にも負けないお悪戯いた ざかりのようであった。 「あっ、陛下陛下。・・・・それでは、家長めも、盲めしい
同様、歩くことがなりませぬ。・・・・眼の上の御手みて
を離し給わりませ。平内左衛門、立ち往生いたしまする」 「いいよ、平内」 みかどは、なお、喜々と笑って、 「お眼々めめ
は、まろが持っている。歩んでみい、さあ歩め、蝸牛、蝸牛」 と、困らすのだった。 きっと、こんな道草を、山路の途中で、さんざんやって来たのであろう。扈従こじゅう
の讃岐中将時実や内蔵頭くらのかみ
信基のぶもと なども、手のつけられない顔をしていた。 ──
と。陣屋の木戸の、ついそこまで来たとき、 「・・・・あっ、あぶないっ」 と、女房たちやら、こっちで整列していた武者も、いっしょになって、みかどの側へ駆け寄った。 何かに、つなづいたらしく、大兵な平内左衛門も、よろめいた弾はず
みに、みかどのお体を、あやうくほうり出してしまうところだった。 みかどは、大勢の手の中へ、仰向けに掬すく
い取られたのが、たまらない快感であったとみえて、 「まいちど、てんぐるましたい。平内、まいちど、まいちど」 と、絶叫あそばした。 「・・・・・・」 お迎えに降おく
り立っていた時忠と経盛は、顔見合わせて。思わず暗涙に暮れた。 一門都落ちの日から、もう三年、白珠しらたま
のままなみかどを擁して、ある時は浪間にちゃだよい、野山に臥ふ
し、またある時は、敵の雄叫びや矢風に追われ、がんぜない帝を武者に負わせて、狩らるる猪しし
の如く逃げ迷ったりした時もある。 自然、供御くご
の物も野性、四囲の朝夕も波の声やら山の谺こだま
ばかりであった。童心に、選択はない。鳥獣とりけもの
とも馴な れやすく、お学問所の素読そどく
の師より、典侍てんじ らの、みやびな風よりも、その感化を、土からうける。 いかに、周囲の人びとが、高貴ならんことを希ねが
って、万乗の大君、十善の天子たるべく守り育てようと努めても、沢山たくさん
の中におかれたみかどが、その御成長に山沢の気を多分に持ってしまわれたのは、どうにも、自然な成り行きだった。 まして、明け暮れ、鏃やじり
を研と ぎ、刃やいば
をしらべ、敵を殺し尽くすか、一門殺し尽くされるか、仇あだ
とは、倶とも に天をいただかじと、一念凝こ
り固まっている屋島の陣の中である。 「・・・・ああ、大人どもの罪だ。みかどの粗暴を、おしかりする資格など、たれにもない。・・・・あのまま、漁夫の子か、山賤やまがつ
の子にでもなれるならば、みかど御自身も、さぞ、お倖なことであろうに」 なお暗然と、あきれ顔に、かなたを見とれている経盛のにぶい眸め
へ、時忠は、そっと小声でささやいた。そのささやきに中にも、さきにもらした彼の願いと意図が籠こ
められていた。 |