ここを陛下のお居間に
── と見立てて掃き清めさせた広間に、二人は仮にすわりこんで、おん輿
を待っていた。 が、供奉ぐぶ
の先ぶれは、なかなか見えない。 経盛がしきりと、案じ顔に、 「遅いのう、どうか召されたのか」 と、喞かこ
つのを、 「いや、遅いのは、いずれ典侍や小女房たちのせいでおざろう。かかる中にも、今朝から、やれ衣裳を濡らしたとか、化粧の料しろ
が見えぬとか、嘆きは大概おおむね
そのようなことでしかない」 と、時忠の方は、笑っていた。 そしてふと、 「── この人ならば」 と、経盛を見込んで、何か、胸の底のものを、今のうちに、話しておきたいと念じるらしく、 「のう、修理どの、おたがいは、覚悟の身、いつ思い捨てようと、惜しみもしないが、しかし、みかどのおん行く末については、万一のことをも、考えておかねばなりましまい。その辺、御老台には、どう御分別なされまするな」 と、声を沈めた。 分別
── という語は、一門が誓っているものとは、およそ遠くて、異端的な言葉である。 だから、経盛は、その語が持つ容易ならぬ意味に、ぎょっとした。── が、決して、時忠をいやしんだり、その腹を探るような風ではなかった。 「さ・・・・げにも、そここそ大事ではあるが、分別と申されると、さて、よい分別も儂み
にはない。お憂いはよく分かる。万一ではない、いつかはと、同じ憂いを、経盛も抱いてはおるものの」 「その儀、うかとは、口にも出せぬ。わけて内大臣おおい
の殿との の前では、和議のわの字も申されぬ。若い教経のりつね
や知盛とももり 、一途いちず
な侍大将などには、なおさらのこと。・・・・というて、みすみす幼帝の御運命を、このまま、われらとともに強し
い奉る酷むご さに忍びえましょうや」 「・・・・・・・」 「ああ。・・・・臆面おくめん
もなく、あなただけには、こうは申すものの、思えば、御子息三人までを、あえなく戦場で亡な
くされた経盛どのではあった。さだめし、源氏へお恨みは深かろう。その源氏に、和を乞うなど、心外なと、腸はらわた
をかきむしられておられることでおわそうがの」 「いやいや、それはわが家の不運。今もって、悲しさ、口惜しさ、あきらめきれぬには違いないが、あくまで、一個の孤父こふ
の無念にすぎぬ。むしろ、伜どもの死が、復讐ふくしゅう
の念など大きく超えて、何がな意味のある死にがいともなれば、むしろ倖せ。かえって、孤父こふ
のこの思いも救われよう」 「では、万一の場合、この時忠が、みかどの玉体を隠し奉って、院へ、お命乞いを仰ぐようなことが起こっての、御老台には、この時忠をお恨みなさいませぬか」 「怨うら
むまい」 ── 経盛は、じっと、まつ毛をひさいで、 「なんで怨もう。もし、幼帝のおん行く末だに、よろしければ」 「それと、おん母の女院 (建礼門院)
とだけは、なんとかして、修羅しゅら
なき園へ、お遷うつ しまいらせておきたいと思う。そのためには、一門すべての者から、そう憎み怨まれても、時忠、歯牙しが
にはかけませぬ。・・・・が、ただお一人、あなただけには、時忠の真意を知っておいていただきたい」 「大理どの。・・・・よう打ち明けてくだされた。そこまでのお腹を」 「あなたなればと」 「か、かたじけない」 経盛は、時忠の手をにぎりしめた。とっしの手も、濡れていた。 ところへ、柵門さくもん
の方で、にわかに、人騒ひとざわ
めきが聞こえ、 「みかどがお成りです」 「渡御とぎょ
あらせられましたぞ」 と、触れわたる警蹕けいひつ
の声もしていた。 |