この日の有様なので、もちろん時忠、時実父子も常の狩衣姿ではない。大鎧
こそつけていないが、具足、わらじ穿ば
きであった。 「やあ、ここは御災難も軽うて、まずまず、なによりでしたな。われらの陣屋は、さんざんに吹き毀こぼ
たれ、一夜に宿なし同様な始末・・・・」 中の木戸を通って、縁の一角に腰かけた時忠は、何がおかしいのか、からからと笑って、 「おたがい一門、都を落ちてより、波の上にも地の上にも、定まる住家すみか
もない姿だが、そのうえ源氏のみならず、こう風伯雨師ふうはくうし
までが敵に加勢し、ともに攻めて来られたのではかなわぬ。いや、たまったものではない」 と、いつもと変わらない調子だった。 経盛は、時忠の、どこか荒々としたこの肌合いが好きである。 侠大納言きょうだいなごん
とか平関白へいかんぱく などと綽名あだな
されたほど、太っ腹で線の強い、いわば地下ちげ
の伝法肌でんぽうはだ な時忠なのだ。およそ、経盛とは正反対な人柄といってよい。──
にもかかわらず、性が合ういうのか、経盛は、時忠と会えばいつも屈託くったく
を忘れ、少しは生きている張り合いも生じて来る。 そしてまた、忘れ難い亡兄の清盛の一面をも、時忠の風貌ふうぼう
の中に偲しの んだ。清盛にはあったが今の一門にはない大まかな気風が、なお時忠のどこかにある心地もして、過去の
“若かりし平家の世ごろ” への郷愁が、慰められもするらしい。 「はははは。俗に申す、泣き面つら
に蜂はち とは、これよの」 客の磊落らいらく
に、経盛も、一笑のほかなく。 「── こんな中をば、めずらしく、御父子そろうて、そもそもなんの御用か」 「ここのみは、御無難と聞き、じつは、お館を拝借に出た。四、五日ほどの間」 「いとおやすいこと。いつなとお家族を連れて、渡られたがよい」 「いやいや、われらどもはどうにでも暮せる。御用に当てたいのは、主上の玉座でおざる。じつは寄り寄り、思案のあげく」 「や。・・・・御所も、さまでにおひどいので」 「からくも、大屋根は残ったが、渡廊わたり
はみな押し流され、夜よる の御殿みどの
も中殿ちゅうでん も、見る影はありません。また濁流に床下を浸されたため、昼の御座ぎょざ
すら設け場所もない園生そのう
の有様。・・・・で、さっそく、麓ふもと
の町屋より、工匠たくみ どもを狩り集め、御修理を急がすことにはしたが・・・・さてその間、みかどの御寝ぎょし
を、いずこにすべきかと」 「それは、それは、なんとも・・・・」 経盛は、聞いて、ひどく恐懼きょうく
した。 「われらの屋根の無難なりしは、なにやらどうも申し訳わけない。どうぞ、いつにても」 「では、時実」 と、時忠は、振り向いて、 「すぐ馳は
せ戻ってゆき、侍従や典侍たちに、みかどを、これへ渡御とぎょ
し奉るようお告げ申せ。そして、お許も供奉ぐぶ
して参るがよい」 と、いいつけた。 時実は、一礼して立ち去った。これが、万乗ばんじょう
の君のことかと、無量な思いを抱きつつ行くような彼の後ろ姿であった。 経盛は、小侍や侍女に、にわかな家掃除を命じ、具足や歌書などは、自分の手で取り片づけた。 「大理どの。ちょっと、上がってくださらぬか。そして、みかどの昼の御座ぎょざ
、夜の御殿みどの 、女院のお居間など、どう定めたものか、下検分してほしいが」 「──
では、御免」 と、時忠はすぐ上がって来て、経盛とともに、陣屋中を、見てまわった。そして、 「お広いのう。これだけの間数まかず
があれば、御不自由はぜひもないが四、五日のおしのぎには、充分、事足りる。だが、修理どのの御家族は、どこに寝起きなされるか」 「いや、幸いなことには、この経盛、今はまったくのひとりでおざる。郎党どののほかは、ただ一人、生き残っている身でおざれば」 「あ、まことに」 と、磊落らいらく
な時忠も、とたんに、胸がいっぱいになった。── 幸いにとは、なんたる皮肉、なんたる悲しい自嘲じちょう
であろうと、孤父の姿から、思わず眼を外へそらした。 |