〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/19 (水)    (二)

この日の有様なので、もちろん時忠、時実父子も常の狩衣姿ではない。大鎧おおよろい こそつけていないが、具足、わらじ穿 きであった。
「やあ、ここは御災難も軽うて、まずまず、なによりでしたな。われらの陣屋は、さんざんに吹きこぼ たれ、一夜に宿なし同様な始末・・・・」
中の木戸を通って、縁の一角に腰かけた時忠は、何がおかしいのか、からからと笑って、
「おたがい一門、都を落ちてより、波の上にも地の上にも、定まる住家すみか もない姿だが、そのうえ源氏のみならず、こう風伯雨師ふうはくうし までが敵に加勢し、ともに攻めて来られたのではかなわぬ。いや、たまったものではない」
と、いつもと変わらない調子だった。
経盛は、時忠の、どこか荒々としたこの肌合いが好きである。
侠大納言きょうだいなごん とか平関白へいかんぱく などと綽名あだな されたほど、太っ腹で線の強い、いわば地下ちげ伝法肌でんぽうはだ な時忠なのだ。およそ、経盛とは正反対な人柄といってよい。── にもかかわらず、性が合ういうのか、経盛は、時忠と会えばいつも屈託くったく を忘れ、少しは生きている張り合いも生じて来る。
そしてまた、忘れ難い亡兄の清盛の一面をも、時忠の風貌ふうぼう の中にしの んだ。清盛にはあったが今の一門にはない大まかな気風が、なお時忠のどこかにある心地もして、過去の “若かりし平家の世ごろ” への郷愁が、慰められもするらしい。
「はははは。俗に申す、泣きつらはち とは、これよの」
客の磊落らいらく に、経盛も、一笑のほかなく。
「── こんな中をば、めずらしく、御父子そろうて、そもそもなんの御用か」
「ここのみは、御無難と聞き、じつは、お館を拝借に出た。四、五日ほどの間」
「いとおやすいこと。いつなとお家族を連れて、渡られたがよい」
「いやいや、われらどもはどうにでも暮せる。御用に当てたいのは、主上の玉座でおざる。じつは寄り寄り、思案のあげく」
「や。・・・・御所も、さまでにおひどいので」
「からくも、大屋根は残ったが、渡廊わたり はみな押し流され、よる御殿みどの中殿ちゅうでん も、見る影はありません。また濁流に床下を浸されたため、昼の御座ぎょざ すら設け場所もない園生そのう の有様。・・・・で、さっそく、ふもと の町屋より、工匠たくみ どもを狩り集め、御修理を急がすことにはしたが・・・・さてその間、みかどの御寝ぎょし を、いずこにすべきかと」
「それは、それは、なんとも・・・・」
経盛は、聞いて、ひどく恐懼きょうく した。
「われらの屋根の無難なりしは、なにやらどうも申し訳わけない。どうぞ、いつにても」
「では、時実」
と、時忠は、振り向いて、
「すぐ せ戻ってゆき、侍従や典侍たちに、みかどを、これへ渡御とぎょ し奉るようお告げ申せ。そして、お許も供奉ぐぶ して参るがよい」
と、いいつけた。
時実は、一礼して立ち去った。これが、万乗ばんじょう の君のことかと、無量な思いを抱きつつ行くような彼の後ろ姿であった。
経盛は、小侍や侍女に、にわかな家掃除を命じ、具足や歌書などは、自分の手で取り片づけた。
「大理どの。ちょっと、上がってくださらぬか。そして、みかどの昼の御座ぎょざ 、夜の御殿みどの 、女院のお居間など、どう定めたものか、下検分してほしいが」
「── では、御免」
と、時忠はすぐ上がって来て、経盛とともに、陣屋中を、見てまわった。そして、
「お広いのう。これだけの間数まかず があれば、御不自由はぜひもないが四、五日のおしのぎには、充分、事足りる。だが、修理どのの御家族は、どこに寝起きなされるか」
「いや、幸いなことには、この経盛、今はまったくのひとりでおざる。郎党どののほかは、ただ一人、生き残っている身でおざれば」
「あ、まことに」
と、磊落らいらく な時忠も、とたんに、胸がいっぱいになった。── 幸いにとは、なんたる皮肉、なんたる悲しい自嘲じちょう であろうと、孤父の姿から、思わず眼を外へそらした。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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