〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/19 (水)    (一)

「やれやれ。ここの見事な梅の木も、無残に吹き倒されておるわ。・・・・去年こぞ 今年ことし と、花を見せてくれたが」
来年はもう見られませぬばあ」
「うむ、花もそうだが、人こそなお、明日も知れまい。おたがい、いつまでの屋島住居ずまい か」
「しょせん、このような所に、長くは内裏のおいとな みも御無理でしょう。昨夜、一昨夜のようなおお 暴風雨あらし夏秋なつあき などには、また来ないとも限りません」
「いや、いや。もっと恐ろしいものが、いつか来よう。・・・・はて、愚痴な立ち話を。時実ときざねおとず れ申せ」
さく の木戸には、番士も見えませぬが」
「うム、ここの兵も、暴風雨あらし の後始末に、狩り出されているのであろう。── だが、修理大夫しゅりのたいふし どのは御老体、内におられるにちがいない。そこから、声をいかけ申してみよ」
ここは屋島のうちでも、南側の山ふところで、そのためか、あらしの被害はどこより少なかった。
さく の木戸、陣屋の母屋おもや棟々むねむねひさし も無事に見える。── ただ一樹いちじゅ の老梅が、柵の一端へ横ざまにたおれているのが、ここのあるじ の胸を思いやると、何かよけいに傷ましい。
すなわち、この陣屋の一郭は、修理大夫しゅりのたいふ 参議さんぎ 経盛つねもり 一族が っている所であった。
経盛は一門の長老 ── 平相国のすぐ弟、門脇殿かどわきどの (教盛) の兄、また内大臣おおい殿との 宗盛むねもり には、叔父に当る人である。従って、仮屋かりや ながら、その陣屋構えは最も大きい。
── けれど、去年、一ノ谷の合戦では、長男の経正、次男の経俊、末子おとご無官むかん大夫たいふ 敦盛あつもり などの兄弟三人までを、みな戦場で くし、今は、老父経盛がひとりこの広い仮屋に取り残されていたのである。
その経正と敦盛あつもり の兄弟が、去年、ここを出陣して行った朝は、ちょうど、柵の梅が咲き匂ってい、ふと、兄の経正が ──
   人はみな いくさに出でし 仮の屋に
と、 むと、弟の敦盛が、
   梅ばかりこそ 春を知るかな
しも の句を付け、相かえりみて、いそいそ屋島の下に待つ軍船へ駆けつけて行ったという。
兄弟合作のその遺詠いえい を、彼らの戦死後、経盛は、後日、家人から聞かされ。、そしてまたも、涙を新たにしたことだった。
それゆえ、残されたひとりの老父にとっては、今年も咲いた一樹の梅に、どれほど父情の愛涙と悲恨ひこん を手向けたことかしれまい。いわば兄弟の形見の梅とも見ていたに違いないのである。
それが ── その梅も、兄弟の死を追うごとく、惨として、暴風雨あらし にたおれた。
「・・・・次に追ってゆく者は」
孤父経盛の胸には、すぐそんな想いも抱かれていたことであろう。
今朝の れを見、郎党たちは、忙しげに、被害の有無を見てまわり、やがてよそ の陣屋見舞いや、労役に狩り出されて行ったが、経盛は内にいて、侍女を相手に、具足櫃ぐそくびつひろ げたり、歌書や笛袋などを、居間いっぱいに干していた。
一部の雨漏りのため、そこらは雨 みだらけであった。彼は若い頃からよく亡兄の清盛に 「おこと は、公卿だな、武門に立つさが ではない」 と、いわれたものだが、その読書好きや管絃かんげん 趣味の風は、この陣中でも変わらなかった。この部屋から、鎧櫃よろいびつ小薙刀こなぎなた だけをのぞ けば、部将の陣屋生活の様ではなく、歌人の書斎のようであった。
「・・・・はて。たれのおとず れか?」
経盛はふと、耳をそばだてて、
「見てまいれ」
と、一人の侍女へいいつけた。
侍女はすぐ、戻って来た。
大理だいり 卿時忠さまと、御子息の時実ときざね さまとが、打ちそろうてお越しあそばしました」
「なに、大理どのが御父子で」
経盛は自分で立って行った。そして、こなたの広縁から柵門の方をながめ ──「やあ、大理どのか。内も外も今日は無人でおざる。どうぞ御色代ごしきだい (ごあいさつ) なく、そのまま、これへ、これへ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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