「やれやれ。ここの見事な梅の木も、無残に吹き倒されておるわ。・・・・去年
今年ことし と、花を見せてくれたが」 来年はもう見られませぬばあ」 「うむ、花もそうだが、人こそなお、明日も知れまい。おたがい、いつまでの屋島住居ずまい
か」 「しょせん、このような所に、長くは内裏のお営いとな
みも御無理でしょう。昨夜、一昨夜のような大おお
暴風雨あらし が夏秋なつあき
などには、また来ないとも限りません」 「いや、いや。もっと恐ろしいものが、いつか来よう。・・・・はて、愚痴な立ち話を。時実ときざね
、訪おとず れ申せ」 「柵さく
の木戸には、番士も見えませぬが」 「うム、ここの兵も、暴風雨あらし
の後始末に、狩り出されているのであろう。── だが、修理大夫しゅりのたいふし
どのは御老体、内におられるにちがいない。そこから、声をいかけ申してみよ」 ここは屋島のうちでも、南側の山ふところで、そのためか、あらしの被害はどこより少なかった。 柵さく
の木戸、陣屋の母屋おもや 、棟々むねむね
の廂ひさし も無事に見える。──
ただ一樹いちじゅ の老梅が、柵の一端へ横ざまにたおれているのが、ここの主あるじ
の胸を思いやると、何かよけいに傷ましい。 すなわち、この陣屋の一郭は、修理大夫しゅりのたいふ
参議さんぎ 経盛つねもり
一族が拠よ っている所であった。 経盛は一門の長老
── 平相国のすぐ弟、門脇殿かどわきどの
(教盛) の兄、また内大臣おおい
の殿との 宗盛むねもり
には、叔父に当る人である。従って、仮屋かりや
ながら、その陣屋構えは最も大きい。 ── けれど、去年、一ノ谷の合戦では、長男の経正、次男の経俊、末子おとご
の無官むかん ノ大夫たいふ
敦盛あつもり などの兄弟三人までを、みな戦場で亡な
くし、今は、老父経盛がひとりこの広い仮屋に取り残されていたのである。 その経正と敦盛あつもり
の兄弟が、去年、ここを出陣して行った朝は、ちょうど、柵の梅が咲き匂ってい、ふと、兄の経正が ── 人はみな いくさに出でし 仮の屋に と、詠よ
むと、弟の敦盛が、 梅ばかりこそ 春を知るかな と下しも
の句を付け、相かえりみて、いそいそ屋島の下に待つ軍船へ駆けつけて行ったという。 兄弟合作のその遺詠いえい
を、彼らの戦死後、経盛は、後日、家人から聞かされ。、そしてまたも、涙を新たにしたことだった。 それゆえ、残されたひとりの老父にとっては、今年も咲いた一樹の梅に、どれほど父情の愛涙と悲恨ひこん
を手向けたことかしれまい。いわば兄弟の形見の梅とも見ていたに違いないのである。 それが ── その梅も、兄弟の死を追うごとく、惨として、暴風雨あらし
にたおれた。 「・・・・次に追ってゆく者は」 孤父経盛の胸には、すぐそんな想いも抱かれていたことであろう。 今朝の霽は
れを見、郎党たちは、忙しげに、被害の有無を見てまわり、やがて他よそ
の陣屋見舞いや、労役に狩り出されて行ったが、経盛は内にいて、侍女を相手に、具足櫃ぐそくびつ
を展ひろ げたり、歌書や笛袋などを、居間いっぱいに干していた。 一部の雨漏りのため、そこらは雨染じ
みだらけであった。彼は若い頃からよく亡兄の清盛に 「お汝こと
は、公卿だな、武門に立つ性さが
ではない」 と、いわれたものだが、その読書好きや管絃かんげん
趣味の風は、この陣中でも変わらなかった。この部屋から、鎧櫃よろいびつ
と小薙刀こなぎなた だけを除のぞ
けば、部将の陣屋生活の様ではなく、歌人の書斎のようであった。 「・・・・はて。たれの訪おとず
れか?」 経盛はふと、耳をそばだてて、 「見てまいれ」 と、一人の侍女へいいつけた。 侍女はすぐ、戻って来た。 「大理だいり
卿時忠さまと、御子息の時実ときざね
さまとが、打ちそろうてお越しあそばしました」 「なに、大理どのが御父子で」 経盛は自分で立って行った。そして、こなたの広縁から柵門の方をながめ
──「やあ、大理どのか。内も外も今日は無人でおざる。どうぞ御色代ごしきだい
(ごあいさつ) なく、そのまま、これへ、これへ」 |