〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/18 (火) 神 な ら ぬ 身 (二)

時忠にとれば、二位ノ尼は、実の姉である。どんなことでも、親しく言える。
それに、清盛の在世中から、 「平家のうちではただ一人の政略の才ある者」 と、一門でもその政治性は認められていた時忠の言でもあった。
尼公は、迷いに迷い、夜もすがら涙に明かしたものらしい。── けさ、宗盛にその瞼を怪しまれて、わけは包まず話したが、しかし、時忠の言葉が道理であり、同意であることは、息子の宗盛には言えなかった。
「この に及んで、和議などは、もってのほかだ。── いよいよ源氏に足もとを見すかされるばかりのこと」
宗盛は、陣屋へ帰ると、いあわせた叔父の門脇殿かどわきどの (教盛) へ、すぐ腹立たしげにもらしたものだった。
教盛の一子、能登守のとのかみ 教経のりつね も一しょだったから、彼にはなお、言う張り合いがあったのである。
「── つい先ごろも、六万寺において、故入道殿の霊にも、固く誓ったことではないか。一ノ谷や生田ノ森で討死を遂げた多くの者の死をも、意味なき犬死にとさせる気か。かつは、われら一門の仕え奉るみかど を、降人として、敵の手にゆだねるつもりであろうか。── まさしく、三種の神器は、ここの賢所かしこどころ にあるものを、大理殿の言は、正気の沙汰とも思われぬ」
宗盛は、くどいほど言って、
「御父子には、どう思われるか」
と、相手の胸をたたいた。
と言っても、宗盛自身は、和議の余地はないものと、とうに腹はきめていたのだ。
── なぜならば、その和議が、どういう形となるにせよ、平家の総領たる自分が助命になるはずはないからである。
「しゃつ、聞くだに、胸くそが悪うなる。そのような人の弱音は、ただただ、お聞き捨てになされておいたがよいでしょう」
そう答えたのは、若い教経の方である。
父の教盛のりもり が、無言なので、憤然と、横から言ったものだった。
「── 大理殿も、むかしは、平関白へいかんぱく などと京雀きょうすずめ にいわれ、平家きっての剛腹ごうふく なお人と恐がられたものだが、近ごろはお年のせいか、面影もない。また、戦場においてまで、のう ある人物とも思われぬ。あまり、軍議の席などには出てもらわずに、まあ、たて の後ろに引っ込んでいていただくしかありますまい。・・・・のう、父上」
息子の教経に、無言の顔をさしのぞかれて、教盛はぜひなげに、おもて を上げ、
「まあ、そうだのう。一死はともに誓うても、死にたいする考えは、やはり人それぞれ、人の思いも、さまざまなれば」
と、たれへともなく、また、うなずくとも、うなずかぬでもなく、つぶやいた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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