さくらノ局が来てからは、彼女が持つ局名
のそれのように、屋島一帯の陣営は、ぱっと明るくなった。 春告鳥はるつげどり
の一声にも似ていた、春の曙光しょこう
がどこからか、映さ しこぼれて来たようでもある。 「もう大丈夫。田辺がお味方へくわわるからには」 と、内裏に仕える小女房の黛まゆ
までが、それからは、なんとなく晴々はればれ
しかった。 そして、さくらノ局その人の、濃い化粧やら装いの麗うるわ
しさにも気づいて、急に、女房たちも、忘れていた都振りや都の香を思い出したものか、自分たちの身化粧にも、新たな張は
りと競いをもち出して、おのおのが、自身の美をまた取り戻そうとしたりしていた。 そうした心理は、あながち、女房たちの中だけに醸かも
された気配けはい ではない。 現れ方こそべつだが、内府宗盛のきげんも、ここ明らかに違って来ている。 「どうも、大理殿
だいりどの (二位ノ尼の実弟、清盛の義弟、大納言時忠)
は、ややもすれば、尼公 にこう
へ弱気なことをおすすめ申して困る。── いちど門脇殿 かどわきどの
からでも、よういってもらいたいのだの。意見あらば、軍議の席で申し、蔭へまわって、尼公のお心を乱すような献言は止めてほしいと」 総領の宗盛は、強気なのだ。 ことにここへ来て
── 湛増の味方を計算に入れたせいもあろう ── ひどく強気を増していたのである。 ところが今朝。 母の尼公に許へ、朝の挨拶に出向くと、尼の瞼
まぶた が腫 は
れている。わけをただすと、夕べ深更まで、大納言時忠が話し込んでいたらしい。 そして、その時忠が言うには、 ── もう現在のような形になってしまっては、どう苦労しても一門の苦労は、しょせん水泡
すいほう に帰すほかはない。 せめて、今のうちに和睦わぼく
を講じるならば、以前の平家を夢見るなどは、もちろん望みもえないが、しかし、一門のたれかが助けられ、まして、幼いみかどや建礼門院そのほかの婦女子はすべて無事に都へ遷うつ
されよう。また、名なばかりにせよ、平家も残る。 まず、神器をお還かえ
し申さん ── ということを、和議の条件に入れて、尼公から、院へそっとお使いを派し、院の旨を先に打診されてみてはいかがか。 また、万一。 追討の大将義経が、これへ迫る急きゅう
な日となっても、もし、この時忠に和議の条件をお委まか
せあるなれば、時忠が交渉の任に当たってもよい。 じつは、数年前 ── 自分が都において、大理卿だいりきょう
(検非違使ノ別当) を勤めていたとき、その義経なる小冠者を自邸の牢ろう
から放してやったことがある。それを、いささかの恩とも彼が考えているならば、かならず、よろこんで当方の提議を容い
れ、鎌倉へも、よい扱いをしてくれることかと思う。 自分も一門の端、誓いは変わらぬが、なんとしても、おいとけない八歳のみかどや、おん母の建礼門院のお行く末を考えると、猛たけ
き男心おごころ も失せ、夜も眠れず、自責にせめられてたまらない。──
真の大慈悲とは、おのれの望まぬことも、人を生かすためには、おにれを捨てるところにあろうと考えられる。 和わ
か、修羅しゅら か、今のうちなら、まだ、どっちかを選べる余地がなくはない。どうか、尼公にももう一度、よう考えていただきたい。 ──
時忠は、夕べ、諄々じゅんじゅん
と、こう言って、尼を説いたということであった。 |