〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/17 (月) や し ま 世 帯 (三)

その日、法莚ほうえん の座をそのまま、六万寺で再評議された結果、ついに伊予攻めのきょ は、決行と決まった。── そして、阿波民部の嫡子、田口左衛門たぐちさえもん 教能のりよし がその場で、大将に任命された。
阿波、淡路に散らばっていた在国兵も、そのさいことごとく召集をうけた。まもなく、およそ三千の軍団が編成され、屋島のふもと、古高松に軍揃いくさぞろ いの声をあわせ、あわただしげに伊予征伐に向かって行った。
そのあと、屋島は、いとど寂しくなった。
一ノ谷以後、なおここには八九千の軍兵はいたのである。が、去年、権中納言知盛が、その約半分を引き連れて、長門の彦島へ移ってゆき、今また、かなりな兵数を伊予攻めに向けたため、あとには、三千足らずの兵しか残っていない。
海上の船手から、ふもと の木戸、屋島全山の諸所に分かれて、配置されると、三千の兵も、まことに、まばらな影に見えてしまう。そして、人声よりも、鳥の声ばかり耳につく。
「・・・・・心細さよ」
と、内裏の女房たちは、まゆ 寒げに、かこ ちあった。
局々つぼねつぼね に住む上臈じょうろう たちは、四十四人も数えられた、陣屋陣屋には、諸大将の妻女や姫も一つにいる。また、それらに仕える小女房やら女童めわらべ などを加えると、ここには女性だけでも百何十人かがいたであろう。 彼女たちは朝に夕に 「御一門に勝たせ給え」 「一日も早く、主上を、もとの都へ還させ給え」 と、神や仏に祈るほかには、薙刀なぎなた を持つわざも、一筋の矢を射るすべも知らない人たちなのである。
── だから、兵力の急減は、わが身の肉がソゲ落ちるような思いであったが、はからずも数日の後には、その淋しさを埋めてなお余りあるほどな歓びが、ここ屋島を訪れた。
それは ──
紀州田辺から、田辺の湛増たんぞう寵姫ちょうき さくらノ局が、来たことであった。同じ船には、朱鼻あけはな伴卜ばんぼく と、奥州の吉次も乗っていた。
彼女は、あたかも、屋島の平家に回生の吉報をもたらして来た女軍使のようであった。そのよそお いも、ここのたれよりも綺羅美きらび やかだった。伴卜、吉次のふたりを、供人ともびと のごとくしりえ に連れ、さてまず、二位ノ尼以下一門の人びとに会うと、そのくちびる にあでやかな誇りを見せて、こう告げた。
「── たびたびにおん使いにもかかわらず、わがつま 、湛増どのには、お味方に参ろうとは、なぜか、たやすく仰せ出しになりませんでした。そこには、熊野三山のぬずかしさやら、いろいろ深い事情わけ もあるにはあったのでございまする。・・・・が、およろこび給わりませ。ついに過ぐる日、田辺ノ宮の神前にて、紅白こうはくとり 試合が行われ、神問かんど いの末、田辺は平家へお味方すべきことに決まりました。── まず、その由を御一門へお告げ申せと、わらわが、ひと足先に参りました。やがて、湛増どの御自身も、数十艘の水軍をひきい、これへ御加勢に見えましょう。もう、何もお案じあそばすには及びませぬ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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