〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/14 (金) くさ ごと (三)

義経は、また、吾野あがのの 余次郎らにたず ねた。
「この地方には、敵はおらぬか。── 桜間ノ介のごとき、平家の郷武者さとむしゃ は」
「いや、油断はなりませぬ」
「おるか」
「この板野ごう は、もともと、坂西ばんざい の近藤六郎親家と申す者のさと 。その親家も、手の者も、いずこへひそ み込んだのか、今朝より一名も姿を現しませんが、これより山路へさしかかり、いつ、いずこから、撃って出ぬとも限りませぬ」
「いや、そのことなれば、案じぬがいい」
義経も少し笑って言ったが、義経の発言の前に、左右の将は、みな笑いこぼれていた。
「余次郎の申す近藤六は、すでに、勝浦にて、われらに降伏しておる。── あれに見ゆる案内者こそ、その近藤六郎親家ぞ」
「えっ、あれが、親家にございますか」
吾野余次郎たちは、眼をみはった。
義経は、後ろを見 ──
「近藤六を、これへ」
と、彼を前に呼び出して、たず ねた。
「やよ、親家。ここは、そちが住みおる在所か」
「は、住み馴れたさと にござりまする」
「ならば、倖せ。そちの館にて、兵糧ひょうろう ろう。馬にも わせん」
「ありがたいことに存じますが、家は臼井と申す所にて、ちと距てており、行く手の方角ともたが いまする。近くの大寺おおでら にて、御休息なされましては」
「大寺とは」
「かしこに見ゆる古き御寺みてら の」
「よかろう。道も急ぐが、朝のかて こそ急がるる。殿輩とのばらこま 、あの辺りへつな ぎ合えや。いざ、朝飯とせん」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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