〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/14 (金) くさ ごと (二)

幕僚でも、義経のほか、田代冠者などの、主なる人以外は、まだ、知っていない者が多い。
深栖ふかすの りょうすけ 助は、いぶかる面々へ、こう話した。
「あれなるは、先に、この陵助とともに、渡辺の地より淡路島へ渡って、万一のために、密々の働きをしていた忍びの仲間なのでおざる。── おりふし、敵の間隙かんげき を見つけ、急を殿へお告げせんため、それがしと、ほか六名は帰陣したが、なお、三十名ほどを、撫養むや土佐泊とさどまり などへ残しておき、時あらば、讃岐にて会わん、と約しおきました。── 御覧ぜよ、われらとの再会を、あのように、よろこび いておりまする」
── と聞いて、人びともみな、初めて、
「そうであったか」
と、うなずきあい、そして、こなたからも、おなじように歓声を返した。
山下の追分にたたず んでいた人々の中には、吾野あがの 余次郎よじろう 、仙波次郎丸、江田源三などの顔が見える。義経の直臣だが、鎌倉殿からは、草の実党の者 ── と密かににら まれており、とかく、派手な陣前の功よりも、いつも えない蔭の働きにばかりまわされている者たちだ。
それだけに義経は、この者たちへは、肌をもって接している。単なる主従のかたちを越え、かつての日、武蔵野や相模野さがみの で結ばれた、草の友として、深く彼らをたの み、彼らもまた、義経の愛情と、将としての優れたその天質に、男の生涯を託すに足るものとしている風であった。
「おお、よくぞ、待ったる」
義経はすぐ、彼らの前に降り立って、
「おこと らの働き、陵助よりつぶさに聞いたぞ。ひと月も前より敵地に入って、一名の犠牲にえ もなかったのは祝着しゅうちゃく 。・・・・して、義経の渡海を、いかがして、早く知ったか」
吾野余次郎が、一同に代って、答えた。
「陵助殿と別れてからは、わが殿のこと、万一にも、にわかな御渡海を見るおりは、かならず、陸路ここより屋島へ裏攻めのお胸に相違あらじと、一同、撫養むや宿しゅく を足場とし、毎日、この辺りを、物見し合うておりました」
「よう考えた。 っこの通り、義経、ここへは出で来つるぞ」
「・・・・が、よもやと、今日の御見ぎょけん には、ただただ、驚き入ってござりまする。ここ数日のあらし、昨夜とても、あのような海上を」
「それ、乗り越えてこそ、敵をもおびや かし得ようというもの。人の越えうる日なら、およそこの道から、屋島へは近寄れまい」
御意ぎょい です。阿波国は今、手薄なりとはいえ、桜間さくらま助能遠すけよしとお は、豪の者。つねに、岬や道の見張りも、心しておりますゆえ、殿の御出勢あるも、いかがあらんと、お案じしていたところ、けさ、思いがけない黒煙くろけむり を、吉野川の南に見 ── あれはいかに? と一同にて、まなこ らしたことでございました」
「オオ、桜間の火の手が、ここからも望まれたか」
「すわこそと、一同、雀踊こおど りを覚え、かねて用意の馬匹に、物具やらかて など積み、ここにお待ち申し上げていたわけでござりまする」
彼らは、三十人足らずの人数に、馬は五、六十頭もひいていた。
すでに船から上がるさい、廃馬としたのもあり、乗りつぶした馬もある。乗り換え馬の欲しいところだった。で、彼らの参加も、馬匹の補充も、僅々きんきん 百五十騎のこの一軍を、強めたことは、少なくない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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